愛しい背中

 今日の金子はどっか変だった。
 好きだとか付き合ってだとか言ってきたのはいつもと同じ、だが、いつもと違って酷く切羽詰っていた。挙句の果てに、『好きだって嘘言って』と。
 普段は冗談に聞こえるように上手く喋る金子なのに、今にも泣き出しそうな面で俺に縋って。
 撥ね付けたからって、本当に泣き出すとは思わなかったけれど、自尊心の高い多感な年頃の金子に、そんな事を言わせた事実が俺の良心を痛ませた。
 のらりくらりとかわして来たけれど、俺も金子を憎からずと思っているから。
 ただ、彼の想いに応えるのは俺の知っている世間の良識ってヤツが許さない。無視して突っ走るには、俺は分別を知りすぎていた。
 でも、『嘘』なら。
 金子が言うように、これは彼が持ちかけた冗談で、本気の言葉ではないと言うなら。
 俺も口にする事ができるだろうか。
 生徒に、同性に対する愛情を。
 金子は、嘘でも嬉しいのだと、そう言った。無理しているのが分かる、泣きそうに歪んだ笑みで。そう、金子は無理をしていると知っているのに。
 俺は自身の狡さに嫌気がさして、思わず溜め息をついた。
 自分の保身の為に、ずっと年下の子供を苦しめている。許してくれるからと、甘えている。
 もう、やめにしよう。
 金子が持ち出した賭けに乗って、己の将来も賭けてみよう。
 それくらいの受動性は大目に見て欲しい、自ら飛び込むには、お前の隣はあまりに苦難に満ちているだろうから。

「…わかった」

 そう頷いた。
 金子は切なく笑って、じゃあ張り切って解きますかぁ、といつものようにおどけてみせた。
 そんなに大した事じゃないんだよ、と俺を安心させる為に。
 机に齧りつくようにペンを走らせ始めた金子は真剣そのものの姿で、何でそんなに、と俺の胸を締め付けた。
 こんなオッサン相手にしなくたって、お前にはもっと良い相手がいるだろう?
 可愛らしい、同級生の女子生徒じゃ、何で駄目なんだ。
 何でわざわざ、そんなに苦しい思いをしてるんだ。
 必死で頭をフル回転させている金子。
 俺は、お前がそれを解けるのを知っている。お前の集中力が、その数式の答えを導き出してしまうのを知っている。
 朝飯前というには複雑だけれど、確実に志望大学に合格するだけの力を持ったお前なら、間違いなくクリアできる課題だ。
 だから俺も、覚悟を決めなければいけない。
 金子に対する、俺の気持ちを打ち明ける覚悟。それは嘘でも冗談でもないのだと、金子に伝える為に。
 俺は立ち上がって、簡易キッチンに向かった。
 珈琲でも飲んで、気持ちを落ち着かせよう。
 机に向かうお前の背中。ペンを動かすたび小さく揺れている、緊張を湛えた。

「…頑張れよ」

 聞かれないよう、呟いた。
 俺の後押しをしてくれる、愛しい背中に。


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