BLUE-HEAVEN 1

 一旦手錠を外されたメグは、Jの手でシャワーで洗われ、ラウが用意してきた服を着せられた。シルビアが作るブランド物のスーツで、あつらえたようにメグに似合っていた。

「普通はこんな服まで用意しはしないんですけどね。
 これも社長の心づくしですよ」

 手渡されたのは、当面の着替えと数ヶ月生活が出来るだろう紙幣。金の方はJからで、Jは自分よりもメグの方が必要だろうからと言って苦笑した。

「俺、こんなだし…。
 ゴメンな、お前、死ぬなよ」

 それが、Jがメグに掛けた最後の言葉だった。ラウの乗ってきた魔道自動車で運ばれていくメグを、キッシュのアパートからいつまでも見送っていた。きっと、二度と会えないんだろうと思うと、せめて見えているうちは目を離したくなかった。

「J。
 話がある」
「…ん」

 完全に魔道自動車の影が見えなくなった事を確認して、キッシュはJを呼んだ。
 少し落ち込んでいるふうのJをベッドに座らせ、自分も傍に椅子を持ってくる。
 いつもと雰囲気の違うキッシュに、あぁ、彼が仕事に行ってしまった後の話なんだなとぼんやりと思った。

「…どうしたい」

 端的な質問に、Jは視線を泳がせた。
 言ってしまって良いのだろうか。自分は、ずっとキッシュの傍にありたいと。例え戻ってこない可能性があっても、キッシュを待っていたいと。
 仕事によっては何年も帰らないこともあるだろう。或いは、二度と帰れなくなる事だって。それでも、Jはキッシュと共にありたいと願った。
 もしも、キッシュが許してくれるのならば。

「俺、は…。
 お前がここから去れって言わないんなら、多分ずっと居付くだろうと思う。
 お前が、誰かと同居したいと思って、俺を迷惑だって言うんなら、もうそれまでで構わないし…、仕事に行くのに邪魔になるって言うんなら、捨ててくれても文句は言わない。
 でも、居てもいいなら、居たい」

 決定権はあくまでもキッシュにある。Jが持っているのは、望みを口にする権利だけ。それが叶うかどうかは、キッシュの考え一つで変わる。

「…本当ならば、もうお前を手放しているはずだった。
 次の仕事が出来た時に、お前を自由にするつもりだった。
 だが…」

 Jに関し、躊躇う素振りを見せるのはこれが初めてだった。Jへ掛けられる言葉は常に簡潔で、迷いがなかった。
 それは、ペットに不安を抱かせないための飼い主としての義務のようなものだ。それと同じように存在する義務の一つにペットの面倒は最後まで見る、というものがある。だがキッシュは、最初からその義務に関しては守るつもりがなかった。最期まで面倒を見るには、人間という種族は寿命が長すぎる。そして、傭兵という職種につく人間の平均寿命は、驚くほど短かった。

「飼い主のエゴだと分かっている。
 お前を不幸にしてしまうだろう事も、理解している。
 それでも、お前を鎖に繋いだまま、出かける事を許して欲しい」

 真摯なキッシュの言葉。
 初めの約束を違える事を、責めないで欲しいとキッシュは頭を垂れた。
 銀の髪が揺れ、その間から覗く澄んだ蒼色の目がじっとJを見つめていた。その返事を、反応を逃さないようにと。

「…ホント、に…?」

 期待と不安で心臓が痛いくらいに鳴っている。よくよく考えれば意味の分からない問いかけにキッシュははっきりと頷き、そのことに安堵したJは泣き笑いという器用な表情を浮かべた。それから、キッシュに向かって腕を伸ばすか否か逡巡し、窺うようにキッシュの顔を見た。

「お前は…」

 もうキッシュに対しての抵抗を一切放棄したJは、その許し無しにキッシュに触れることすら禁忌としてしまった。過去を思い出した対価のように姿を現した従順さは、嘗て養父に虐げられていた時に身につけた処世術。今また愛玩動物としての立場を肯定し、飼い主の声を絶対にしている。
 それは全く無意識の行動で、J自身は気がついていなかった。従わされるのではなく従いたいと思ったそのときから、キッシュはJの世界の中心になっていたから。

「抱いても良いか」

 尋ねたキッシュに何故そんな確認をするのか分からないと眉を寄せ、それでも明確に頷いたJは、下肢を覆うシーツをするりと床に落としてしまう。
 その下から出てきたのは色が抜け白くなった細い脚と、それを拘束する無粋な金属の輪。白い包帯の上に嵌められたそれは、逃げ出す意思のなくなった今もJの行動を制限している。
 もう少し。
 キッシュはそう望み、口に出さぬままJをベッドに横たわらせた。二人分の体重を受け止めたベッドが小さく不満を訴える。けれど飼い主の体重を受け止めたJは嬉しそうに口元に笑みを刷いた。未だ筋肉の衰えぬ長い腕をキッシュの首に巻きつける。

「…J…」

 耳元の落ちてきた声は過去聞いた事がないほどに甘く優しく、この声を得るためならば自分はどんな苦難だって甘んじて受け入れるだろうと予感した。そう、Jにとって受け入れるセックスは、まだ苦痛に分類されたままだ。
 与えられる強すぎる快感は恐怖の象徴となり、身体を貫く灼熱は屈辱の証だった。
 最後に性的に触れられてから一ヶ月が経っている。Jにとってキッシュの手は悦びと慄きの両方の感情を呼び起こして、Jの身動きを封じてしまう。けれど、キッシュに任せて置けば心配ないという絶対の信頼が既にあり、一度きつく目を瞑ったJは、ゆっくりと身体の力を抜いていった。

「いい子だ…」

 Tシャツが捲り上げられ、そのまま引き抜かれる。女性らしさを欠片も含有しない、けれど色ばかりは透けるように白くなった身体。しっかりと筋肉の張り詰めた肌を撫でてやれば、気持ち良さそうに目を細めて吐息した。
 紅梅色の胸の飾りに指がかけられる。嬲るように押し潰され、Jは喉の奥で声を殺した。それはJの男としての本能がさせた行動で、するりとキッシュの左手指が口内に侵入してきた瞬間、あぁ、声は出すべきかと理解した。

「…っ、ぅ、ぁ…っ」

 けれど、理解したからといってすぐに実践できるものでもなく、ましてや過去には声を殺すことを強要されていた身としては、そう容易くは現在の飼い主の希望に添えそうにはなかった。

「…いい、ゆっくりで構わない。
 そのうち、嫌でも声も出だすだろう」

 甘やかで、尚且つ凶暴なキッシュの囁きに、Jの瞳は薄っすらと水膜を張った。J自身も予想していなかった、キッシュの声一つで、ここまで溶かされてしまうなど。

「はっ、あぁ…っ。
 ンっ、…そこばっか…っ」

 指の腹、舌先、唇。それらが、ずっと紅梅を弄り続け、Jを悶えさせている。
 初めはそう気持ち良くもなかったその箇所は、時間がかけられるにつれ酷く敏感に尖っていき、今では息を吹きかけられるだけでも切なく震えてJに哀願を強いるのだった。

「気持ち良いんだろう?」
「…っ、良すぎ…っ。
 も、い…っ」

 声を上げるべきだと思いつつも、女同様の台詞を口走るには抵抗がある。その葛藤が、常にJの言葉を途切れさせてしまう。出て行くつもりで音を失った声は、堪えるつもりだった時よりも一層Jの熱を煽っていった。
 耳の裏に、首筋に、鎖骨に、胸筋に、臍に、下腹部の茂りに、雄の証に。
 次々とキッシュの唇は滑り、Jの身体全てに火をつけていく。
 シャツの裾すら乱さない冷静な姿のままに、その眼差しのみが焦げ付きそうな温度を伴っていJを見据えている。
 もう耐えられない、とJはキッシュの服の端を引っ張った。

「…っ、お前の、熱も、くれ…っ」

 真っ赤になりながら求めたJは、暫し考えるふうに動きを止めたキッシュに不安になった。

「…キッシュ?」
「いや…、なんでもない。
 あまり、驚かなければ良いが…」

 躊躇いながらも、木綿のシャツを落としていく。白や黒の薄い布がキッシュの足元に蟠って、それと入れ替わりにキッシュの肌を晒していった。

「……っ!?」

 そうして現れたキッシュの肌には、大小様々な傷痕がついていた。大剣に切り裂かれた痕、槍に貫かれた痕、棍杖で打ち据えられた痕…。そのほか武器の形状すら窺えない複雑な傷、ギリギリ心臓を外れたらしい傷痕。その一つ一つを思うたび、Jの胸は押し潰されそうに苦しくなった。

「あぁ…、お前、本当にいつ死んでも…」
「そうだ。この傷のどれが致命傷になっていたって、おかしくないだろう?
 俺の仕事場は、常にこんな所だ」

 それは、キッシュからの最後の確認だった。
 Jは静かに裸の身体に抱きついた。

「俺の命はもう、お前と共にある。
 お前なしの人生なんざ考えられねーよ…。
 いいんだ、傍にいなくても。ただ、お前のものじゃない俺には、もう価値を見出せない」

 今更、揺らぐような思いではないのだと。
 訃報を聞けばどこにいようと嘆き悲しみ、後を追うだろう。死ぬなと命じられれば抜け殻のようになってでも生き延びて見せる。
 Jの誓った忠誠は、もう自分の意思ででもどうにかなるものではないのだとキッシュに訴えた。

「だから、捨てるのだけはやめてくれ。
 捨てるくらいなら、お前の剣の錆にして欲しい」

 そう縋って、すぐに呟いたのは、打消しの言葉。

「いや、いいんだ。
 邪魔だと思ったらすぐに言ってくれ。
 俺は絶対、お前の手にだけはかからない」

 殺したくないと訴えていたキッシュの瞳。その瞳に捕まったからこそ、この奇妙な関係は始まったのだ。今になって、その手を汚させることなど出来るはずがない。
 ニコリと笑いかけたJは、何もキッシュが気に病むことなどないのだと断言し、ただ、気の向くうちは自分を傍に置いて欲しいと改めて口にした。

「…俺の生のある限り、逃れる場所はないと思え」

 花のように艶やかに、儚く笑ったキッシュは、もう言うべき事はないとJの口を自らの唇で塞ぎ、行為に没頭していった。


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