BLUE-HEAVEN 2

 Jの脚に繋げられていた、重たい鎖は外された。それがジャラン、と音を立てて床に落ちたとき、Jは複雑は表情でそれを見つめていた。今までJの自由を奪っていたそれは確かに煩わしいものであったけれど、それ以上にキッシュに拘束されているのだという実感をJに与えていたからだ。
 でも、もう必要ないとキッシュは言った。
 Jにとってキッシュの言葉は絶対になっていたから、(そもそもそんなものに繋いでいて欲しいと思う事が尋常ではないことぐらい分かっていたので)それに逆らう気はなかったけれど、何となく心許ない気分になってしまった。

「…不安か?」

 くしゃりと髪を撫でられ、いや…、と小さく呟いた。不安に思うことはない、ただ、何となく頼りない感じがするだけで。
 そういってJは否定したけれど、翌日キッシュは街に出かけて、いつもの食料と一緒にいつもと違う紙袋を持って帰ってきた。
 開けてみれば中から細い革で出来たベルトが入っていて、それは腰に巻くには少しばかり短すぎたので、どうやら首輪らしいと見当がついた。その首輪には丁度正面に来るあたりに金具のわっかがついていて、そこから長く鎖を通すこともできるようになっている。
 キッシュは何も言わずにJの手からそれを取り上げると、きつくもゆるくもないように注意してJの首に巻いた。日に焼けることのなくなった肌に、黒い革がよく映えた。

「鎖までは、いらないだろう?」

 キッシュは悪戯に笑いかけて、頬を染めたJに口付けた。別に鎖を付けられた事が嬉しいわけではなくて、キッシュが自分の事を考えてくれた事が嬉しいのだとJは弁明しようかと考えたが、そんなことは口に出さなくても伝わっていそうだと思い直し、ただ、キッシュにしがみ付く腕に僅かに力を込めるだけにした。

「ありがと」
「大したもんじゃない。
 それより飯にしよう。ほうれん草のパスタが手に入ったから、スモークサーモンのクリームスパゲティでいいか?ドライキャロットもあったからついでにコンソメスープも作るんだが」
「あ、俺サラダ作った」

 冷蔵庫にグリーンサラダがあるとJは言った。オレンジを使ったドレッシングも冷やしてあって、教えたか?とキッシュは首を傾げた。

「作ってんの、見た。
 味見はしたから、俺の舌がおかしくなきゃ食えると思う」

 余計なことだったかとJは尋ねて、仕事が減って楽になったというキッシュの言葉に安堵した。その表情を見て、まるで子どものようだと思う。30にもなる男に向けるべき印象ではないが、まるで犬の耳と尾が見えそうだとキッシュは含み笑いをした。
 ベッドに腰掛けているJを置いてキッシュは台所に立ち、先にアイスティーを作って冷蔵庫へとしまう。そういえばこの冷蔵庫も、最初に見たときにはJが驚いていたのだったと思い出した。氷の入っていない冷蔵庫。Jが暮らしていた地域には動力となる魔道が通っていなかったから、冷やしておきたいものは氷屋から氷を買ってしまっておくのだと言っていた。そういえば、そんな暮らしを随分前にしていた事を思い出す。傭兵を始める前、十代になるかならないかといった時分の話だ。
 強い視線を感じて振り返れば、じっとJが見つめていた。何を考えているのかは分からない。キッシュが振り返ってもまだ暫く見続けていて、不意に我に返ったかのように瞬きをしてキッシュに笑いかけた。

「どうした?」

 穏やかに声をかければ、なんでもないとJは頭を振って、それでも答えを求められているのだと気がつくと眉を寄せて口を開いた。

「半月なんだな、と思って」

 半月したら、キッシュはこの部屋からいなくなる。きっと帰ってくると信じているけれど、どれくらい不在になるのか分からない。絶対に忘れないように、その背中を目に焼き付けておこうと思ったのだと。寂しいと感じても、この目は主人の姿を捉えられるように、細部まで覚えておこうと。

「…馬鹿だな、お前は…」
「……わかってるよ…」

 愛おしさに負けてJを抱きしめたくなったキッシュだったが、一度触れてしまえば暫く離せなくなることはわかっていた。だから、食事が済んでからだ、と自分に言い聞かせる。自分は兎も角、Jに食事を抜く習慣を付けさせてはいけない。ただでさえ今後自分が面倒を見てやれない時期が続くのだ、少しでも食べ物を欲する身体にしてやっておかなくてはいけない。
 食べたくないと感じるだろうことは、わかりきっているから。

「もうすぐだからな、待ってろ」
「おう」

 背中を向ければやはり感じる視線。それでJが満足するというのであらば、好きにさせようとキッシュは作業を再開した。

□■□

「…っ、ぅ、く…っ」

 相変わらずJの声は聞こえるか聞こえないか程度しかでなかった。性交の間は声帯が萎縮しているとしか思えない。Jにこんなセックスを教えた人間をキッシュは許せそうにない。
 辛そうに眉を顰めるJの名を何度も呼んで、我慢をするなと促した。初めは調教するつもりさえあったのにおかしな話だと思う。だが、ある意味では自分の好みに塗り替えようと、躍起になっているのかも知れない。他人のやり方を仕込まれた身体を、変えてやろうと。
 仕事場に向かう日まで、もう三日を切った。その間、毎日三食食べさせて、Jが欲しがるだけのスキンシップを与えた。尤も、口に出して言いはしないし、本当のところ二人ともセックスがそんなに重要とも思ってはいなかったのだが。

「あ…っ、も、…っく…!」

 Jが好むのは正常位だった。恐らく加減して抱きついているのだろうけれど、逐情の瞬間だけは全力になる。それでも、爪などは絶対に立てようとしなかった。
 辛ければ、何をしてもいいと言ってはいるのだが、キッシュに傷なんかつける気ねェからと言って頑として聞かなかった。それは、恐らく戦場での事を思っての行為だろう。僅かな傷が邪魔をして、キッシュの命を奪うこともある。それはJ自身が命のやり取りをしていた経験から思うところで、万全の状態であるに越したことはなかったからだ。

「いい、イけよ」
「は…っ、キッシュ、も…っ」

 促すというよりはねだると言った方が正確なJの声に、キッシュは乗ってやることにする。グラインドを早くすれば、耐えられないと言わんばかりに背を仰け反らせて、声を上げないまま達した。その収縮に促され、Jの体内に吐精する。ブルリと、Jが身を震わせた。

「…っ、は、…はァっ、んぁっ」

 質量の落ちた熱を引き抜けば、その狭間からとろりと体液が零れ出て、その感触にさえJは反応を示した。敏感な身体は、しかし淫乱ではない。
 精神的な繋がりを求めて、Jは情交を欲した。未だにセックス自体には恐れを抱いている。それしか方法を知らないJを哀れに思い、また、それ以外の方法を示してやれない自分を、キッシュは不甲斐なく思った。

「大丈夫か」
「あぁ、平気だ…。
 …足りたか?」
「足りなきゃ、また抱かせて貰うさ」

 だから何も心配するなとキッシュはJの髪を撫でた。Jは言葉を失って、じっとキッシュの顔を見つめた後に、フッと横を向いた。照れている。

「…どうした?」
「なんでもな…っ」
「…ふうん?」
「…………ヤルじゃなくて、だ、抱くって言ったから…」

 それが嬉しかっただけ、とJは小さな声で告白する。
 見んなよ!と喚いてキッシュを押し退けようと躍起になっているJを、お構い無しに抱きしめた。何故こんな可愛らしいペットを手放そうなどと思えたのか。
 この愛おしさは常に勃起を伴うものではない。今のようにただ抱きしめて髪の毛をかき回して甘やかしてやりたくなることの方が多い。そして、キッシュがそういう気分の時には、決まってJもそれで満足していた。我慢しているのではない、満ち足りた表情でキッシュに構われていた。
 犬かな、とキッシュは思う。本当に犬であったなら、戦場に連れて行って繋いでおくことも可能なのに。人間のペットは、置いていかなくてはならない。

「…J。
 俺がいない間の話だ」

 上にYシャツだけを羽織り、Jの視線が泳ぐのを防ぐ為にJの隣のシーツの間に滑り込む。
 僅かでも硬質な声を出せばそれが重要な話なのだとJは即座に判断して、静かに言葉の続きを待った。

「俺がいない間、シルビアにお前の面倒を頼んでいる。
 シルビアは自分の邸宅に来ても構わないと言っているが、お前が望むのならばこの部屋に誰かを派遣するとも言ってくれた。
 来るのはシルビアが信頼している人間だろうと思う。だから俺は心配はしていないが、お前が嫌だと思えば全て自分でやってくれてもいい。
 どうする?」

 キッシュの話はこの部屋の持ち主が帰ってくる事を前提にして進められており、ならばJは全てを一人でやって、キッシュの帰りを待ちたいと答えた。

「…俺は、まだお前を部屋から出すつもりはない。だから、買い物だけは他の人間にやって貰う事になる。それでもいいか?」

 否などと答えるわけがない。
 Jははっきりと頷いて、それから不安そうな表情を見せた。

「…そうだな、もし帰らなかったとしても、後の事は全部シルビアに任せてある。
 俺の後を追って自殺するなどと口にしてはいるが、あれで案外と部下想いの社長だ。見捨てて命を絶つことはないはずだ。
 俺の全財産はお前に譲渡するから、お前には生きられるだけ生きて欲しいと思っている。
 …つらい思いを、させるだけだろうか」

 キッシュの最後の問いに、Jは眉を寄せた。
 首を横に振ることは、嘘をつくことになる。でも、キッシュの命令ならば、それに従える。Jは数瞬の葛藤の後、平気、とだけ答えた。
 


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