BLUE-GATE

 Jが目を覚ました時、其処には誰もいなかった。最初に目に入ったのは気を失う前に見ていたコンクリートの灰色で、カーテンの隙間から明るい光が漏れ入っていた。どうやら外には太陽が昇っているらしい。
 ぎしぎしと傷む体に鞭打って身を起こす。掛けられていた毛布がずり落ち、自分が見慣れないTシャツを着ていた事を知る。肌触りの良い白いそれは、一見しただけで上等の代物だと分かる。

「…いつの間にこんなモン…」

 わざわざキッシュが着せて行ったのだろうか。それ以外に、説明はつかないけれど。
 ベッドから脚を下ろそうとして、何かが絡まった。
 嫌な予感がして毛布を捲り上げると、其処に黒い無機質を見た。

「…っんだこりゃあ!」

 足首に嵌っているのは見るからに頑丈な金属の鎖。斧でも持ってこなければ切断など望めそうもない。右足に付けられているそれは長く伸び、重たくとぐろを巻いてベッドの下に繋がっていた。覗き込むと、スチール製の、此方も丈夫そうなベッドの足に嵌められている。J以外の人間がベッドとJを離すには、唯一の有機物をぶった切るのが一番簡単だ。つまり、Jの足首を。

「一体何の真似だこりゃあ…」
「あぁ、起きたか」

 閉じていたドアからキッシュが姿を現した。あのドアの向こうは、バスとトイレだ。ドアの正面にはカウンター式のキッチンがあり、バスの隣には何かの部屋がある。何が置かれているのかまでは、データに書かれていなかった。

「…っ」

 思わず毛布を腰の辺りまで引き上げる。Jの脚には、鎖以外に何もついていなかったからだ。そうしてキッシュの眼から下半身を隠して、唇を噛んだ。
 普通ならば男相手にこんな反応はしない。見られて困るものはないのだから。

「下を穿くと面倒だからな、できるだけそれを外したくないんでね」

 チラリと目をやられたのはJの脚が隠れているあたり。
 ベッドの端に腰かけられて、脚を縮めてキッシュから遠ざかった。

「…俺が、怖いか」
「…っ、知らねェよ!
 こっち、来るなよ…!」

 伸ばされたキッシュの手に、ますますJ小さくなる。

「何のつもりだよ?
 やることやったんだ、さっさと離せよ!」

 まるで毛を逆立てている猫のようだとキッシュは苦笑する。この反応は一応予想していたとはいえ、30を越えている男が、こんな調子で良いのだろうか。

「…J、30歳、男。
 フリーの殺し屋で分かっているだけで11件の殺人に関与。
 賞金500万のAクラス賞金首」

 何かを読み上げるかのように、キッシュはスラスラと喋っている。それはJに関する公的なデータで、おそらく昨夜、Jの名を聞いたときには分かっていたのだろう。

「現在一人暮らし、C地区のアパートの二階が住居で雨の日には通路が洪水になる…って、これは酷いな。
 親兄弟はなく天涯孤独の身。特定のパートナーもないが、馴染みのバーには仲間と呼べる親しい友人がある。
 女遊びは派手な方じゃないが、潔癖というわけではない。
 そうそう、男に関しては19のときに輪姦されてるな。…と、22のときか。
 どっちもちゃちな失敗が原因だな。おおよそ複数に押さえ込まれてってトコか。
 男に突っ込まれてイったのは昨日が初めてだったんだろう、体は平気か?」

 次にキッシュの口から出てきたのは公開されていない筈のデータで、そもそも住処を知られた殺し屋なんて生きてはいけない。何故そんな事を知っているのかと、キッシュを睨みつけた。

「そんな顔をするな、また食いたくなるだろ?」
「…〜〜〜っっ!?」
「冗談だ、怯えるなよ」

 やれやれ、と頭を振って、キッシュはキッチンに立った。

「珈琲に砂糖は?
 ミルクは牛乳と脱脂粉乳とがあるが」

 睨むばかりで答えないJに肩を竦め、ならば俺の好きなようにするぞと砂糖と牛乳とを入れる。金属のマグカップを二つ、持ってJの傍に戻った。

「ほら」

 温かな、湯気の立ったカップ。差し出されたものを思わず受け取ると、満足そうにキッシュが目を細めた。
 人間と言うよりは、犬や猫を見ているような。しかし実際に、Jには自分が人間として扱われるのかどうか、判断がつかなかった。鎖に繋がれているという事実、キッシュの中にある自分の命。逆らえば、殺されるのかもしれない。

「俺には俺の伝手があってな、そいつが俺を襲いそうな奴を教えてくれるんだよ。
 その中に、お前のデータもあっただけの話だ。
 そいつは俺以外にデータを売らないからな、お前の情報を知っているのは俺だけだ」

 だから安心しろ。
 淡々と言って、キッシュは酷薄な笑みを閃かせた。

「ただ、お前は今日から此処で暮らす。
 どうしても必要なものが家にあったら取って来てやる」
「な…っ!?
 冗談じゃ…!!」
「あァ、冗談じゃないぜ?
 ま、次の仕事までだ」

 次の仕事。
 傭兵であるキッシュが次に仕事をするのはいつなのか。本当に、そのときが来たら解放されるのか。
 自力で逃れようなどとは、全く思えなかった。Jとキッシュの力の差は歴然としている。昨夜の攻防で、既に明らかだ。

「…本、当に…?」
「もっと居たいと言うなら好きにして良いがな。
 暫く付き合え、生活の面倒は、一切見てやる」

 キッシュの手が伸ばされ、思わずJはきつく目と閉じて顔を背けた。けれど別段キッシュは怒るでもなく、Jの髪をかき回して離れていった。
 目を開けた先には、キッシュの後ろ姿。

「あぁ、お前のナイフはあの棚の中だ。
 どう使おうが、お前の勝手だ」

 つまり、反抗するのはJの自由だと言うこと。
 じっとキッシュを見ていたJは、其処に一部の隙も見出せず、当分は大人しくしておこうと思ったのだった。

「なァ…、何で俺なんか…」

 可愛い女などいくらでもいる。よしんば、キッシュがゲイなのだとしても、自分など監禁して、何が楽しいのかわからない。キッシュのように綺麗な容貌ならば、きっとそばに置いていても楽しいだろうに。
 Jにはきっちり筋肉がついているし、無駄毛の処理など一切していない、男そのものの身体だ。ついでに、人相だって厳めしい。観賞用には、到底向かない。

「反応が面白かった、それだけだ」

 食えないものはあるかと問われ、アンチョビとピクルス、チーズが嫌いだと言った。

「なんだ、じゃあピザは厳禁だな、美味いのに」
「お前は食やぁ、いーだろーが。
 俺にあわせる必要なんかあるかよ」

 決定権はお前にあるだろうと吐き捨てれば、別に食わなきゃ死ぬってワケじゃなし、と答えて、Jの元にトレーを持ってきた。
 乗っているのはトマトケチャップのかかったスクランブルエッグ、フランスパンにガーリックバターを塗ったもの、グリーンサラダ。

「俺はさっき食ったから。
 それと、後でこれな」

 差し出されたのは白い錠剤。
 何の薬かとキッシュを仰ぎ見れば、ただの抗生物質だと。

「炎症を起こしたら面倒だからな、必ず飲んでおけよ」

 途端に、Jは自身の下半身について思い出す。キッシュに好きなように弄ばれた窄まり。切れてはいないようだが、意識し始めると鈍痛と違和感を振り払えなくなった。

「今度から、猿轡が必要かな。
 もしかしたら、隣に聞こえていたかも知れない」

 俺に乱交癖があることなど、疾うに隣人には筒抜けかも知れんがな。
 Jの反応を窺うようにキッシュは言った。いや、確かに窺っているのだ。そうと知りながら、Jはキッシュを罵る口を、止めることは出来なかった。

「…っの、変態野郎!
 次なんか、絶対ないからな、そう簡単に何度もヤられて堪るかぁ!」

 キッシュの細められた青い眼が、鈍く光ったのをJは見たような気がした。
 ベッドの上で後退ると、毛布の下で重たく鎖が鳴った。
 どうしようもない現実を突きつけられる。

「せいぜい抵抗するんだな」

 個室に入って行ったキッシュの姿に、Jは食事も取らずに毛布の下に潜り込んだのだった。


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