BLUE CAGE 2 |
---|
Jはキッシュに飼われようと、自らの意思で決めた。 そうして心を開いてキッシュに向き合ったとき、初めてキッシュがそれを望んでいない事を知った。 キッシュ自身がそうと口に出したわけではない。態度も今までと変わっていない。ただ、Jが変わったというだけの事だ。キッシュが何を望み、何を考えているか。それを知ろうとキッシュを見ているうちに、彼が何を考えJを傍に置いているのかという事が、分かってしまったのだ。 キッシュは、捨てられるペットを望んでいた。気まぐれに懐に取り入れ、やがて都合と共に野良に戻す事ができる。そんなペットとして、Jはキッシュに縛られていたのだ。 『いつか捨てられる』 そうと知りながら、Jは一度惹かれ始めてしまった自分の心を止める事が出来なかった。もともと、そういった感情に免疫の薄い心だ。コントロールする術が見つけられず、やがて傷つくときが来ると判断をする理性は、徒にJを苦しめていた。 キッシュはそのJの葛藤に気がついている様子だったが、結論を出すのはJ自身だと心得ているのか、一切の口出しを控えていた。 時が来れば、どう足掻いても戦場に出て行く身だという自認もそれに拍車をかけていたのかもしれない。半ば伝説と化すほどの強さを誇るキッシュでも、その実力に自惚れているわけではない。人間、死ぬ時は死ぬのだ。そう思えば、今後Jを傍に置き続けることなど出来はしないし、まして待っていろなどと言えるわけもなかった。 本当ならば、今すぐJを解放するのが一番良いのだということはわかっていた。爪を隠してしまったJだが、それはまだ抜けたわけでも折れたわけでもない。相応のものを持たせてやれば、一人で生きていくことは可能だろう。必要ならば、暫くバックアップしてやっても構わない。 だが、キッシュはそれをしなかった。ペットの意思を尊重するというよりも、飼い主の我が侭を先行させるという理由で。 キッシュの方もJに愛着を持ち始めていたのだ。傍に置いておきたいと願ってしまうほどには。よく一人で生き残ってこれたと感心する位、Jは弱かった。殺しの腕は一流かも知れない、しかし、精神的な防御が足らず、一人手にかけるごとに身を削っていったのではないかとキッシュには見えた。そしてそれは事実なのだろう。だからこそJはあまり沢山の仕事を請け負ってはこなかった。一度に多額の金を手にできる、そんな危険な仕事ばかりを選んで、十数年やってきたらしい。 根本的に、心のできが自分とは違っているのだとキッシュには感じられた。どちらが良い、悪いではなく、Jには向いていない、それだけの事だ。可能ならば、Jを引退させてやりたかった。もう二度と他人の血で手を染めるような真似はさせたくない。キッシュがそれを実行する為には、協力者が必要だった。
「おやまァ、歓迎されたもんだね」
Jの顔を見た瞬間に男の口から出た言葉。寄越す視線には面白がっている色しか見えず、キッシュは小さな溜め息でそれを受け流した。
「覚えていてくれて嬉しいね。
悠然と笑いかける男の名を知り、Jは眼を見張った。 「まぁ、人それぞれ、いろんな人生があるって事だよ」 ポケットから取り出したのは葉巻ケースで、中には上等の葉巻が並んでいる。紙巻のそれよりも好きなのだとシルビアは言った。
「あ、別に普段からこんな派手な服着てるわけじゃないよ? Jとシルビアのやり取りを、可笑しそうにキッシュが傍観している。その手は、三人分のコーヒーを入れていた。ホイッパーでミルクを泡立てている。一ヶ月の間に、Jの好みも随分と把握したのだ。ミルクなしのコーヒーは、飲めない。
「ちょっとキッシュ、まだ躾がすんでないのかい?」 キッシュに向けて、Jが叫ぶ。その頬が赤く染まっているところを見ると、事実らしいとシルビアは笑った。通常、彼らの言うところの躾とは主人に対しては勿論、客人に対しても従順で、丁寧な言葉遣いで話せるようにする事を指す。Jへの躾は完璧には程遠いものだったが、元が殺し屋であったということ、キッシュよりも一回り以上年上である事を考えれば、一ヶ月でここまで懐かせたことは賞賛に値する。従うのではなく、懐いている、その事はシルビアを驚かせた。
「ははは、いいねェ、こういうのも。
ニヤと笑うシルビアの目は妙に鋭く、Jはびくりとベッドの上で後退った。
「そろそろなんだけどな…」
シルビアがキッシュに目配せしたそのときに、玄関の扉がノックされた。
「黒髪に、瑠璃の瞳だ。銀縁の眼鏡。170あるかどうか、痩せ型の男」 肩を竦めてキッシュは扉を開けた。黒いダブルのスーツを着ている。ダークグレイのシャツに光沢のある黒いネクタイを締めたラウは、カタギの人間には見えなかった。両手に、紙袋とアタッシュケースを一つずつ持っている。
「初めまして、タフィー・ラウと申します。
静かに頭を下げた男は35、6歳だろうか。シルビアの配下の者だと知れるが、彼を可愛いと表現して良いのか、キッシュには分からなかった。確かに、年の割には可愛らしい顔立ちをしているが、それ以上に油断ない眼差しの方が強く印象に残る。
「あぁ、此方がMr.Jですか。
ラウはキッシュに紙袋を差し出した。お土産ですと告げてから、自らの手で開けてみせる。日常と隣り合わせに暗殺という文字のある彼らの世界では、害意がない事を示す為に、こういった贈り物は自分の手で開けて見せる事が常識だった。小包による爆弾、毒ガスなどの攻撃を想定した行為で、余程気心が知れた相手でない限り、ただ置いていかれたお土産の類は開けられずに処分される。
「わざわざ有難う。
シルビアの言葉に僅かに憮然としたラウを見て、喉の奥でキッシュは笑った。敢えて覗かせているのだろう感情の一端は、なるほど、可愛らしいというに足る表情でラウを彩った。
「まもなく戦争が始まります。
ラウはキッシュにそう告げると、アタッシュケースを開け、長弓用の弓矢と投擲用のナイフ、つまり、戦闘における消耗品をキッシュに見せた。
「有難う。代金はいつもと同じで構わないのか」
社員の前でも適当な事を言うシルビアに、Jは呆れてしまう。どれほど奔放な商売をしているのか。傭兵からの代金など、取れるときに取っておかなければ、戦場で死なれてしまっては儲けがなくなることになる。
「キッシュがこんな戦いで死ぬわけがないよ。
だから、本当はただ帰ってきてくれさえすればいいんだ。俺はその手伝いをしたいだけだから。
「…そんなもんかね」 ラウは眼鏡を押し上げて、小さく溜め息をついた。普段は冷静で敏腕なボスで通っているシルビアも、キッシュの前ではただの男に戻ってしまう。聞き及んではいたのだが、実際に目にすると改めてそれを感じた。
「これも必要なことなのでしょう。 唯一の不満と言っていい。しかし、これくらい許してあげなければいけないのだろう。そもそも、シルビアが武器の商人を始めたのもキッシュの為というのが一番の理由だ。戦場に赴く前に煩雑な手続きを行わせたくはなかったからだ。それを知っているものはごく限られている。
「あぁそうだ、Mr.Jをどうするんだい?」
言いよどんだキッシュに、どうかしたのかとシルビアは首を傾げた。
W-TOP← ― |
□
■
□
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||