King of Life

 彼はその180を超える長身で他を圧倒していた。身長に見合うだけの体重もあって、そのあからさまなエンブレムの入ったブレザーがなければ高校生には見えなかった。その上、校則を土足で踏み倒していく長髪だ。長い黒髪は左右につけた計5つのピアスを見せたり隠したりしている。彼に生活指導をしようという度胸のある教師はいない。
 彼の名前は荻原青海と言って、ここら一帯では名の知れた人物だった。
 喧嘩の強さ然り、素行の悪さ然り、見た目の派手さ然り。
 でも一番彼が有名なのは、その独特の喋り方だった。

「ちょぉっと伊勢ちゃん、なにやってんのよ置いてくわよぅ?」
「あー、待って、だって季節のイチゴのミルフィーユが俺を呼んでる…」
「呼んでないわよ、そんなモノぅ。
 もう、お金ないなら諦めなさいよぅ、往生際の悪い子ねェ」

 彼は伊勢の頭を引っ掻き回して、それからしょうがないなァと言わんばかりに色とりどりの甘い生洋菓子が並ぶショーケースへと目をやった。

「アタシ甘い物、嫌いなのよねェ」

 ポケットへと手を突っ込んだ。ジャラリ、とごついウォレットチェーンが鳴って、黒い革の財布が出てきた。薄っぺたくみえるそれには、数枚のクレジットカードが入っている事を伊勢は知っている。彼は大抵、カードで買い物を済ますから。

「えぇと、なんだっけ? 季節のイチゴのミルフィーユ?」
「そう。
 美味しいんだって、マジで」
「はいはい、伊勢ちゃんの甘党は今に始まったことじゃないもんねェ」

 オネェサン、それ、3つちょーだいな。
 ガタイのいい長髪の高校生が、サングラス越しに微笑んで。これが黙ってれば相当いい男なんだから、勿体無いとしか言いようがないと伊勢は彼を見上げる。
 荻原近江は、隠す気もなくオネェ言葉で喋っていた。

□■□

 伊勢藤一郎は一日の大半を荻原青海と一緒に過ごす。荻原が伊勢の行くとこ行くとこ、ついて歩くからだ。伊勢は一度もついて来いと言ったことはないし、どちらかと言うと一人でいる方が気が楽な人間だ。だが、荻原はついて来る。
 そのうえ、始末に悪いことに周囲の者は伊勢が荻原についてきてとお願いしているものだと思っているらしい。
 それも偏に伊勢の顔立ちに原因があるのだった。女の子と間違えられてナンパをされたことは数知れず、制服を着ているにも拘らず痴漢にあうことも稀ではなかったし、校内でラブレターを渡される事なんか、日常茶飯事だ。
 伊勢の悪友の一人、神田雅義が笑顔で言うには、「色白の肌とくりっくりの大きな目、ふっくらめの唇って、美少女そのままじゃん?」ということである。
 加えて、うっかり早生まれな伊勢は体格にも恵まれず、現在170足らず、50キロ台半ばというかなり切ない体型だ。だから、工業高校という男子率の高いここではガードマン宜しく荻原を連れて歩いている、ということになっているらしかった。
 冗談じゃない、と伊勢は言いたかった。
 伊勢はそんな容姿にも拘らず、相当に喧嘩っ早かった。その上、強かった。いや、えげつないと言った方が正しい。
 伊勢は平然と男の急所を狙ったり、或いは「キャー助けてー」と叫んで怯んだ相手をぶちのめしたり、日々携帯する武器を使用したりと、いっそ喧嘩上等の男たちが避けている手段を常套としていた。曰く、どうしたってハンデがあるのだから、仕方がない、となるらしい。
 それを聞くたび、荻原と神田は、「だから守ってあげるってば」と口を揃えた。
 いらんお世話だという伊勢の言葉は、彼らの耳を綺麗にスルーするらしい。

「はい、伊勢ちゃんミルフィーユ。
 神田にも分けてあげてねェ」
「サーンキューっ。
 あぁ俺オーミが天使に見えるよ限定販売生地はさくさくクリームしっとり甘酸っぱい新鮮イチゴのミルフィーユ〜」

 白い小さな箱に頬擦りせんばかりの伊勢に、荻原は苦笑する。だから女の子のようだと言われるのだ。尤もそうという自覚があるのか、こんな表情は荻原と神田の前でしかしない。
 今は目下独占中の昼休みの屋上で、のんびりと重役出勤してきた二人に、神田が「遅い!」と文句を言った。

「ゴメンねェ、アタシまーたうっかり絡まれちゃってさぁ。
 そんなに魅力的なのかしらねぇ、アタシ」
「倒せばステータスになるって意味なら、魅力的じゃない?
 人間的な魅力としては、伊勢ちゃんの方が断然上だよね。
 今日も可愛いよ、ハニー」
「ハイハイ、ありがとよ。
 俺は言葉よりもモノで示して欲しいタイプだ」

 荻原みたいにな。
 ハートマークさえ飛ばしかねない神田の言葉をあっさりと吹き飛ばして、伊勢はケーキの箱を開けた。
 気にする様子もなく神田はその手元を覗きこみ、伊勢と同じく頬を綻ばせる。神田も、甘党だ。

「アンタ達、女子高生も顔負けねェ…」

 ついでに買ってきたこちらもまた甘いミルクティーのパックジュースを差し出して、荻原自身はブラックの缶コーヒーを傾ける。
 伊勢は兎も角、神田はしっかり男顔男体型のあからさまな『カテゴリー・不良』だ。
 あまり可愛いモンじゃないわよねェと内心でぼやいていた。

「オーミは食べねーの?」

 3つあるけど?と首を傾げた二人に、僅かに肩を竦めて見せた。

「アタシはいらないわよぅ。
 どーせ1個じゃ足んないでしょ、伊勢ちゃんは」

 神田にもいったかしらと尋ねれば、1個で充分だと神田は笑った。

「俺はちゃんと飯食ったから。
 伊勢ちゃんみたいに昼食=ケーキってのは、流石に無理」
「…美味いのに」
「うん、美味いけどね」

 でもほらケーキってデザートでしょ。
 断言した神田は、伊勢よりはまともな感覚の持ち主であったらしい。
 荻原は二人のやり取りを眺めながら、シガレットケースを取り出した。銀色のそれから取り出したのはミントのきつい煙草。昔は薄荷の香りなどしないものを選んでいたが、伊勢が盛大に顔を顰めたことを契機に、伊勢と同じ銘柄に代えた。因みに、神田も同じものである。
 ぷかりと羊の浮かぶ空に紫煙をたなびかせて、荻原は伸びをした。
 学校なんて、つまんなァい。
 荻原の全身が、そう叫んでいる。彼は親に泣きつかれ、高校を卒業することを不承不承承諾してしまったので、出席日数ぎりぎりにでも学校へ通っている。伊勢と神田は、それに付き合っていた。
 もともと神田は荻原の付き合いで高校に入学したのである。二人は幼馴染で、何をするにも一緒だった。仲が良いというよりも、一緒にいないと不安になるのだ。彼女と長続きしない、因果な心理構造だと二人は既に諦めの境地である。

「あー美味かった。
 ミルフィーユはここのが一番だな…。あともうちょっと、ヴァニラを押さえた方がイチゴが生きるんだけど…、そこまでは俺好みになんないね」
「伊勢ちゃんは自分で作った方が満足できるんでしょ?
 こないだの珈琲シフォンも絶品だったし。あれ、オーミも食えたろ?」
「あぁ、あんまり甘くなかったヤツよねェ。
 ねェ伊勢ちゃん、お惣菜系って、作れないの?」

 携帯灰皿に煙草を押し込んで、荻原は身を起こした。
 続いて、伊勢と神田も食べ終わったものを片付け、隅に寄せ始めている。

「作らないの。
 だって、おふくろ料理してくれなくなるんだもん…」

 俺より上手いのに、面倒臭がりだから。
 悲しそうに伊勢は言って、尻の埃を叩きながら立ち上がった。

「さーて、お客様だ」

 楽しげに見つめたのは開け放された屋上の扉、微かに聞こえている階段を昇る音。
 軽く首を捻って、荻原は楽しそうにしている。神田はいつもの飄々とした表情で、伊勢は迷惑そうにフェンスに凭れている。参加する気はさらさらない。

「伊勢藤一郎、いるんだろ?」

 姿を現すと同時に掛けられた声。誰もいなかったらさぞかし恥ずかしい場面よねェとのんびりと荻原は思った。
 目の前の彼は富樫梓といって、身長190を超える所謂『不良』だ。素行も記憶能力も学力も足りてねーんじゃねーのと言い放つのは顔に似合わず口が悪い伊勢で、悲しいかな、富樫はそんな伊勢に惚れていた。
 いや、惚れていたと言うのは正確なところではない。富樫は伊勢の身体を狙っていたのだ。愛らしい顔と一見スリムな身体は極上の獲物の如き香りを発している。手に入れたいと願うものは多く、富樫もまたそのうちの一人で。
 黙って富樫を見つめていた伊勢は、不意にフェンスから身を起こすと富樫の方へと歩み始めた。

「…いい加減さぁ、しつこいと思わねぇ…?」

 溜め息と一緒に伊勢から零れたのは、そんな言葉。怒気と言うよりも、殆ど殺気に近いものが込められているその声に、荻原と神田はぎょっと伊勢を振り返った。

「い、伊勢ちゃん、キレちゃだめよぅ。
 ね、富樫だって、そんな性悪な方じゃないんだから」
「そーだよ、ちょっとしつこいのは違いないけど、悪いヤツじゃないって」

 荻原と神田は、富樫とは中学以来の付き合いである。しょっちゅう街角でいがみ合っていた、腐れ縁のような関係だ。互いに気心も知れつつあり、そろそろ喧嘩するのも馬鹿らしくなってきたかななどと思っていた矢先である。
 富樫が、伊勢を抱きたいなどと言い出したのは。
 伊勢に惚れ込みゆっくりと友人の地位を築いた二人にとって、それは許しがたいことだったので、富樫との仲は決裂、再び対立するようになっていたわけだが。
 それでも、キレた伊勢を放し飼いにするほどに、嫌ってはいない。

「…うるせーよ、二人共。
 毎日毎日毎日毎日…、いい加減俺の堪忍袋の尾もブッ千切れるってもんだぜ?
 俺はテメーみてーな俺の外面しか見てねー変態ヤローが死ぬほど嫌いなんだよ!」

 死ね!
 上品極まりない掛け声と共に繰出された拳は見た目を裏切って限りなく重かった。喧嘩慣れした富樫を一撃で沈めるほどの威力がある。普段疲れるからと言う理由で、卑怯な手しか使わない伊勢からは、想像もつかないほど正当な攻撃。地面に転がった富樫に、情け容赦なく蹴りを重ねていく様はいつもの伊勢であったけれど。

「俺は、ヤローに、ケツ、差し出す、気なんか、これっぽっちも、ねーんだ、よ!
 さっさと、死ねっつーの!!」

 一言ごとに聞こえる鈍い音。そろそろ止めなければ、本当に富樫が死にかねないと、荻原と神田は伊勢を羽交い絞めにした。キレた伊勢は、大柄な男子二人がかりでも止めるに危うい。
 足を精一杯伸ばしてまだ蹴りを入れようとする伊勢を宥め賺し、神田は富樫の傍にしゃがみ込んだ。

「諦めろって、富樫。
 伊勢は、オーミのだ」
「…!?」

 ぐったりと横たわっていた富樫は、弾かれたように神田を、ついで荻原を見た。
 視線の先で、困ったように荻原が笑っている。

「やぁね、バラしちゃったのぉ?
 言わないでって言ったのにぃ」
「拉致があかないっしょ」

 怒りでまだ暴れようとしていた伊勢は、呆然としている富樫を一瞥して、肩を竦めて動きを止めた。
 つまり、そういうことだ。

「…っんだよ、ケツは貨さねーって、専属って意味かよ…!?
 …テメーだって、充分変態じゃねーか!」
「あぁ!?
 誰が変態だってコノヤロウ!」

 荻原にはなった言葉に、伊勢が再びキレた。
 一度綻んだ場所は、随分と脆くなっているようだ。再び荻原に止められる。

「俺は誰にもケツなんか貸してねーしテメーみてーにこいつの外見に惚れたワケじゃねーんだよ!
 俺のバシタァ、最高のオトコなんだよ!」

 伊勢の剣幕に口を噤んだ富樫は、彼の言葉を反芻して目を見開いた。

「…んだぁ、そりゃあ…。
 テメー、喋り通りにオカマかよ…」
「あらぁ、失礼しちゃうわねェ。
 アタシアンタ相手にも突っ込めるくらいには、立派にオトコよぉ?」

 長い髪を掻き上げて、荻原は目を眇める。その表情は、男そのものだ。
 喋り方以外の全ては男性的であったからこそ、荻原が荻原たるのである。そんなことは、富樫だって熟知していたはずだ。何度も殴りあった仲なのだから。

「こいつが俺専属なんだよ。
 …テメーも、俺に掘られたいってんなら、相手してやらなくもねーぜ?」
「ちょっとぉ、アタシやぁよぉ?」

 困ったように煙草を加えた荻原に、冗談だと伊勢は笑う。俺がお前以外、抱くわけないだろ?と。少々下品だが、バカップルの図がそこにある。

「と、まァそういうわけだから。
 俺が慰めてあげるから、伊勢ちゃんは諦めなさいね」

 そういう神田も、泣く泣く伊勢を譲った口である。荻原には敵わないと、早々に伊勢を揶揄うだけにとどめたのもまた、神田らしい判断であったが。

「…っ、そんなもん、いるかよ!」

 我に返った富樫は、慌てた様子で起き上がった。
 手加減零で加えられた暴行にあちこちが悲鳴を上げている。それでも、早くそこから立ち去りたかった。

「クソ…っ、最低だ。
 何ですぐに言わなかったんだよ!」
「言ったわボケ!
 だからお前の記憶能力は不良品だっていうんだ!」

 怒鳴られて。

『俺、オーミで間にあってるから。他所、当たって?』

 富樫がかき回した先の記憶に、確かにそんな言葉があった。
 ただし、ニヤニヤとした笑みの張り付いた、いつも以上にやる気のない伊勢の顔とセットで、だ。

「分かるか馬鹿ヤロー!!」

 涙と共に叫ぶ富樫に、神田と荻原は、同情の眼差しを送った。


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