K-L Before 1

 入学式を前に生徒達は浮き足立っていた。名前も出身校もいまいち知れない雑多な紺色が、一つ一つの部屋の中でざわめいている。中でも酷いのは1−Bで、その原因は大人しく出席番号順に窓際に座った二人の男子生徒にあった。
 一人は校則を足蹴にした派手なアッシュブラウンで、短髪に刈り込んでいる。まだどこかあどけなさを残す少年の容貌は、万華鏡のようにくるくると変わった。けれど、時折見せる鋭い眼光や、雄の気配は、その手の人間に警戒心を呼び起こさせる。只者ではないと遠目からでもわかった。
 もう一人は校則ギリギリの長さの黒髪で、やや制服を着崩してはいるものの至って普通の高校生だった。その容貌は少々常人離れして綺麗だったけれど、その華やかな笑みに惹かれ彼らの会話に耳を傾けた瞬間、見た目に関する情報は一旦デリートされるのが常だった。

「…あ、あの子可愛いかも」
「どれどれ…って、オーミ、あれ男の子だと思うんだけど」
「うんそうね、ズボン穿いて学校に来てるんですものきっと男の子よねェ。
 でもちょっと見ないくらい素敵じゃない?」

 さっきからこの調子である。自分達と同じ新入生を吟味して、あの子が可愛い、こっちは綺麗と批評しているのである。彼らくらいの外見を持っていればそんな姿も嫌味がない。ただ純粋に眺めて愉しんでいるのだと納得させられる何かがあった。もし仮に、一般の男子生徒がそんな真似をしていれば、女子生徒から非難の集中砲火を浴びるのだろうが。
 出席簿によれば彼らの名前は荻原青海と神田雅義といった。先ほどから「オーミ」と呼ばれているのが黒髪の少年で、彼は180近い立派な体格を裏切り柔らかすぎる女性の言葉で話していた。所謂、オネェ言葉というヤツである。

「でもあの子、気が強そうだ。
 オーミ、落とすの?」
「どうかなァ、取り敢えず、オトモダチから?」

 幸か不幸か、本人の与り知らぬ内に“オトモダチ”のターゲットとして選ばれたのは伊勢藤一郎という超絶美少女顔の男子生徒であり、また、1−Bの生徒でもあった。

□■□

 初めましてぇ、と差し出された手に、伊勢は怪訝そうな眼差しを隠しもしなかった。
 こいつ誰?と全身が語っている。

「アタシ荻原青海。仲良くしてくれればとっても嬉しいんだけど?」

 歯に衣着せぬストレートな誘いに、相棒である神田は失笑した。
 合コンじゃあるまいし、そんな挨拶の仕方もないだろう、と。

「俺は神田雅義。
 コイツ、変わってるからあんまり追求してやらないでくれる?」
「あぁ、うんそれはなんとなく分かった。
 俺、伊勢藤一郎。男なんでそこ、ヨロシク」

 にっこりと笑って握手に応じた伊勢は、「てめェらのオンナになる気なんざぁ、これっぽっちもねェからな」と至極穏やかにその笑みに乗せた。
 人さえ殺せそうな壮絶な笑顔に、これは駄目だろと荻原を見た神田は、あろうことか本気になってしまったらしい相棒を認めて天を仰いだ。彼はどうあっても伊勢を手に入れるつもりでいる。
 神田とて、伊勢の顔立ちは一目で気に入ったし、男だと分かっていても一発お願いしたいねェと思わなくもなかった。しかし、どうやら中身は苛烈なようである。手を出せば火傷どころか瀕死の重症さえ負わされそうだ。悲しい事にこの手の感はよく当たるもので、神田は本能に従い伊勢には手を出すまいと決めたわけだが。

「…ちょっとオーミ、本気で?」
「だって彼、中身がちっとも可愛くないじゃない。
 きっと、すっごく格好良いわよぅ?」

 いや、そんなところに価値は見出せないから、俺。
 遠い目で突っ込んだ神田は、そこでようやく相棒の奇妙な言葉に気がついた。

「…お前、男に興味なかったよなァ?」
「そうねェ、17の男と70の女性だったら、女性の方を口説こうかしらって思うでしょうねェ」
「…伊勢ちゃん、15の男なんですけど?」
「あ、伊勢ちゃんって呼ぶの? いつもながらナチュラルね、神田って」
「いや、いいから俺と会話して」
「あら寂しン坊さん。
 いいのよ、ギャップが気に入っちゃったの。
 アタシ、伊勢ちゃんのコト好きみたい」

 にっこり。
 宣言された言葉に、神田は眩暈を起こしかけた。
 ウチの幼馴染は口調だけに飽き足らず、嗜好すら女性じみてきてしまいました。
 因みに神田が報告をした相手は、荻原の姉妹達だ。

「…そういう会話はさぁ。
 本人がいなくなるかもう少し人目を憚ってやるもんじゃねーかと思うんだけど…」

 怒りを通り越して呆れ返ってしまった伊勢は、荻原だけじゃなく神田も充分変なヤツだとしっかりと認識をしておいた。類が友を呼んだのか、朱に染められたのかは知れないが、彼らは馬が合うのだろう。
 そして、そんな彼らを嫌いではない自分に気がつき、ひっそりと苦笑を噛み殺した伊勢だった。

「…取り敢えず、訊いときたいんだけど…。
 荻原って、オカマ?」

 こっそり聞き耳を立てていたクラスメイト全員が硬直するような質問を投げつけた伊勢。
 お前も充分類友だと声にならぬ声が突っ込みを入れる。

「あら、オーミでいいわよぅ。
 それで、どうかしら、アタシってオカマ?」
「俺は違うと思うけど。
 女好きだし、喋り方以外は男だし」
「…ですって。
 昔っからこんな喋り方なのよぅ、早く慣れてね」

 慣れてね、と言われた伊勢は、もうそういうもんなんだろ?とあっさりと受け入れた。良くも悪くも無関心な男なのかねと神田は思ったが、支障がない限りは口を出すまいとそれを伊勢として肯定した。

□■□

 荻原と一緒にいることは神田にとって呼吸をするように当たり前のことだった。それは荻原にとっても同じ事で、高校に上がってからも二人は当然のように一緒に行動していた。ただそこに伊勢が加わってからは、神田と荻原が、お互い以外の人間とも話をよくするようになったというだけの話だ。
 もともと社交性がないわけではなかった二人は、他を拒絶しているかのような濃密な空気を溶かしてしまえば案外話しやすい好青年たちだった。
 そのことで、二人の素行が良くなったりするわけではなかったが。

「おはよ…。
 神田、いる…?」

 低血圧な伊勢はいつもHR開始直前に登校してくる。
 今日もそれに違わず、教師に支えられるようにして教室に入ってきた。どうやって学校まで来てるんだと問われた伊勢は、親切な生徒さんが連れて来てくれるとあっけらかんと答えた。確かに学校中に伊勢の顔は知れ渡っていたから、その登校風景も日常見慣れたものだろう。そのうち、伊勢を送る当番でも組まれるかも知れない。

「お、まだ寝てンね伊勢ちゃん。
 神田本人に神田の居場所を訊くかな」

 未だ出席番号順に並ぶ教室で、夢遊病者のようにふらふらと歩く伊勢を迎えた神田。これで席替えでもした日にはどうなってしまうんだろうと少し憂えてみる。

「なァに?
 アタシじゃなくて、神田に用なのぅ?」
「…だって、オーミ甘いの食べないじゃん…」

 伊勢が開いたのは小さめの紙袋で、中には紙ナフキンで包んだ何かが入っている。

「…甘いものなの?」
「うん。メレンゲ。
 黒糖と、ココアと、抹茶。上手く出来たから、神田ちゃんにもあげようと思って…」
「マジで?
 やった、俺伊勢ちゃんの作るの大好き。
 こないだのオレンジピール入りブラウニーも美味かったー。生地はしっとりなのに重くなくて、オレンジの苦味と歯ざわりが味に変化をつけててさー」

 お菓子の事になると荻原には入り込む余地がない。意外なことに、甘味類を好むのは荻原ではなく神田の方だった。
 今も、いそいそと伊勢に渡された紙包みを開いている。

「凄いな伊勢ちゃんって。
 お菓子系は何でもいけるの?」
「んー…、まぁ、一応…。
 中華系は、あんまり得意じゃないけど…」

 幸せそうに菓子を口に運ぶ神田に、自然と伊勢の頬も緩んでいる。甘味好きのみに通じる何かがあるらしいと、荻原は苦笑していた。

「…へェえ、伊勢ちゃんはお菓子作りまでしちまうんだなァ。
 やっぱり、女の子なんじゃないの?」

 不意にかかった声には、悪意が溢れていた。
 ゆっくりと声のした方を振り返った三人は、そこに見たくもない顔を見つけて露骨に嫌な顔をした。3年生であることはその薄汚れた上靴の色が示している。4,5人でつるんでいることもまた、彼らの癇に障った。
 入学式当日からしつこく絡んできた、不良と呼ばれるセンパイ方。
 撃退しても撃退しても、次々と現れる彼らの顔は、三人には全員同じに見えている。伊勢をモノにしてやろうという感情が、面に表れた顔だ。

「…なァ神田。
 どうしてこう、彼らは自信過剰なんだろうなァ…?」
「さぁ。頭悪いんじゃない?」
「そりゃあ、頭も悪いでしょうよぉ、お勉強、大っ嫌いであんな格好してるわけだしぃ?」

 アタシ達とは事情が違うのよ、ねェ?
 楽しそうに臨戦態勢になる荻原と神田を制して、伊勢は前に出た。

「二人共、そろそろ先生に目ェ付けられてるんでしょ…?
 俺、自分でやるから」

 そんな無謀な…!
 彼らのクラスメイト達は思った。いざこざの一つや二つ、黙っとくから無茶はしないで、と。
 しかし、荻原と神田は、顔を見合わせただけであっさりと引き下がった。

「何だァ? 頼りねェボディーガードだなァ。
 伊勢ちゃん、俺のモンになるんだろ?」
「……さくさく死ね、この下衆野郎。
 俺がオンナにしか見えねェ腐れた目ン玉もちったぁ綺麗になるだろ…」

 普段ののんびりした口調とは掛け離れた言葉が伊勢の声帯を震わせて、次の瞬間には拳が顎にめり込んでいた。
 余裕をかましていた3年は、思わぬ攻撃にあっさりと床に沈んだ。そこにもう2,3発けりを入れた伊勢は、荻原に止められてようやく攻撃を止めた。

「俺は別に守られなきゃならねーほど弱かねーよ、ただ、喧嘩すんのが面倒なだけだ。
 オーミと神田がやってくれんならそれでいいかとも思ってたんだけどな…。
 テメーら、いい加減しつこい。つーか名前くらい名乗れこのカスが…」

 超絶美少女から零れるドスの効いた低い声。今は気絶をしている彼らのリーダー格を、腕の力だけで持ち上げて、取り巻きたちに投げつけた。

「まだ一人で来るってんなら許しもするが、馬鹿みてーに連れ立って歩きやがって…。
 二度と俺に話しかけんな…」

 それとも、お前ら俺とやるか…?
 一歩進んだ伊勢に、3年達は慌てて逃げ出した。一応、鼻血を噴いて昏倒しているリーダーを連れて行くだけの仲間意識はあったようである。
 机に腰掛けて一連を眺めていた荻原と神田は、ひょいと肩を竦めて伊勢を迎えた。

「やぁっぱり伊勢ちゃん、格好よかったぁ。
 ねっ、神田、アタシの言ったとおりでしょう?」
「やぁ、全くだ。俺、吃驚しちゃったよ。
 伊勢ちゃん、喧嘩できたんだね」

 吃驚したのはクラスメイト達だ。この二人は、伊勢が喧嘩を出来るかどうかすら知らずに3年生の前に伊勢を立たせたというのだから。
 矢張り計り知れないと、今後のクラスを思い暗澹たる気分になったのは言うまでもない。

「そりゃ、おまえらに逢うまでは自分でやってたんだし…。
 でも、大抵逃げるけどね…」
「それで、角に隠れて殴ったりしそうよねェ」
「助けてーって叫んで逃げる振りして半殺しにしたり?」
「…するけど?
 一応必死だし、こっちも…。二人にはわかんないだろうケドさ、輪姦されるかもっていう恐怖なんか…」

 淡々と言われた台詞に、荻原と神田は揶揄うのをやめた。
 確かに、伊勢は本当に怖い目に会ってきたはずだ。物心つく頃には体格の大きかった二人には、きっと分からないことで。

「ゴメンなさい、考え無しだったわ」
「これからは、俺たちが適当にあしらうから」
「別に、いいけど…。
 俺、結構キレやすいから、どっちかっていうととめて欲しいかも…」

 呑気な調子で言われた内容に顔を見合わせた二人は、鋭意努力しますと言って笑みを浮かべた。
 そうして、荻原と神田は、伊勢の後をついて歩くようになったのである。


W-TOP← ―

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送