POP LOVERS 2

 連日空は晴れ渡っていた。冷房のない教室は無料サウナ状態、そんな中返されるテストなど点数に一喜一憂するのみ、見直しまでする気が起きるわけがない。
 平均点前後をうろうろしていたテスト結果を忘却の彼方に押しやることにした俺は、現在部活を満喫している。試験週間という名目で練習できなかった間、どれほど辛かった事が。
 市営プールに行こうにも「アンタには練習より勉強の方が必要だって、監督が判断したんでしょう?」という姉の一言で妨げられた。確かに勉強が必要なければ特別なカリキュラムでも組んで練習させてくれただろう。自分の学力不足が祟ったわけだが、普通の学校なら練習優先だと思うぞ、スポーツ特待生なら。
 二週間振りに泳ぐ水の中はこれ以上なく心地良く、正直タイムなんか二の次で只管水中を進む気持ちよさを追いかけていた。

「うわ、先輩自己ベスト更新ですよー」

 壁にタッチして顔を上げると、プールサイドで後輩がストップウォッチを構えて立っていた。コースを横切って傍に寄れば、其処にしゃがみ込んで。
 こいつは一級下の有力選手で、しっかり小麦色に焼けた体には綺麗な筋肉がついていた。白いパーカー姿のこいつの写真は、飛ぶように売れるという裏情報がある。175センチのすらりとした体躯に、目の大きなベビーフェイスという取り合わせが母性本能を擽るんだとか。前に付き合っていた彼女が言っていた。

「遠山、お前俺のタイム覚えてんのか」
「つーか先輩県のタイムホルダーじゃないスか。
 自覚ないんスか」
「あはは、結構どうでもいいかも」

 実際、俺は泳ぐのが好きなんであって、試合はどーでもいいところがある。
 だから、大会なんかでも気分次第で結果が違う。監督には散々に怒られるが、やる気が出ないときは仕方がないと思うんだけどなァ。

「で、先輩、何かイイコトあったんスか?」
「あー…、うん、まァ。
 惚れてた奴と、両思いになった、かも」
「かも、って…?」

 俺のタイムが伸びた時は、機嫌がいい時。知ってる遠山は尋ねてくれたわけだけど、今スゲェ幸せかって訊かれると、そこんトコは自分でもよく分からない。幸せだと言い切るには、今の状態は微妙なような。
 首を傾げて、どーいうことです?と問い詰めるよりは弱く、でも興味本位以上には真剣に聞いている遠山に、何でか浮気がバレる直前の、亭主のような気分になった。

「や…、お互いに惚れあってんのは確認したんだけど、相手には付き合っている奴がいるっつー…」
「はァ? なんスかそれ。
 先輩、キープ状態じゃないっスか」
「……かな…?」

 改めて言われると、ちょっと不安になる。
 アイツも、気持ちを確認しあったから即彼女とさようならってワケにはいかないんだろうって分かってるんだけど、普通に楽しそうに彼女と帰ってる慎吾を見てると、俺のコトは結構どうでもいいのかなとか思ってしまう。それとも、女がきれたときの繋ぎにしてぇのかな、とか。あまりに卑屈な考えで、慎吾自身には確認できないけどな。

「…ケド、先輩はその子の事、好きなんスよね…」
「うん。好き」
「…っ、先輩、良く平然と言えますね」
「へっ? 言わねぇ? 好きだったら」

 流石に相手が誰とは言えないけど、好きな奴を好きって言うくらい、何の問題もないと思うんだけど。
 プールサイドに体を引き上げて、遠山の隣に座った。立ち上がった遠山はベンチにあったタオルを取ってきてくれて、俺の肩に掛けた。さり気なくそういう事が出来る奴で、結構いいなと思う。あ、勿論慎吾とは違った意味で。

「サンキュ。
 遠山はどうなの? そういうの、聞かねーケド」
「や、俺はあれっスよ、部活が恋人っつーか…。
 ぶっちゃけ、先輩の泳ぎ見てるほうが楽しいっつか」
「俺ェ? ハハッ、どーすんだそんな暗い青春送って。
 せめて女子部の方見るとか。結構スタイルいいの多いぜ?」

 俺も中の一人と付き合った事がある。二級上の女子部員で、一年の時に泳いでたら、いきなり食われたって感じで始まった。顔にもスタイルにも自信があったらしいけど、俺は既に慎吾に惚れてたから。やっぱり適当に別れた気がする。

「別に、興味ないッスよ、あんなの。
 先輩見てたら勉強にもなるし、型とかマジ綺麗なんスよ、知らねーっしょ?」
「…よく分かるな、俺が監督の言うこと、聞いてないの」

 ビデオに撮ってやるから自分の型を研究しろって言われながら、もう三年。一回も見た事なんかない。本当はしないといけないって分かってるんだけど、プール以外で泳ぐこと考えるの嫌なんだ。頭で考えて泳いでるわけじゃない、監督の言うように泳ぐ努力はして、それでタイムが縮んだっていうのは理解してる。でも、そんな泳ぎ方したってちっとも面白くないんだ。勝負の世界はそんなモンじゃないって、誰もが言うんだけど。

「やっぱ、先輩天才なんスね。
 他の奴らも言ってるっス、水と一体になってるみたいで、いつか消えちまうんじゃねーかって。
 ははっ、あり得ねーっスよね、ケド、そんくらい凄ェって」
「聞いてる方が赤面するわ。
 一体誰の話してんだ…」

 遠山の髪を掻き回して、他に言う言葉も見つからず苦笑した。
 俺は日本人だ、そういうのには慣れてないって。
 遠山も軽く肩を竦めて、こんなの滅多に言わないっスよ、と笑った。

「ねぇ、先輩に触ってみてもいいっスか」
「男に触って楽しいかァ?
 変な奴だなァ」

 好きにしろと答えれば、なんか改まったように失礼しますって言って、俺の腕に手を伸ばした。筋張った男の手が自分の腕を撫でて上がるのは初めて見る光景で、言いようのない違和感がある。女の手なら、見慣れてるんだが。
 遠慮がちな遠山の手は肩まで上がって、俺の方を窺った。
 女じゃあるまいし、胸触られたからって叫びゃしねーよ。気持ち悪ィのは倍増しだろうけどな。

「うわー、伊達じゃないッスねー。
 スゲェ、羨ましい。俺、見た目こんなでも、全然っスから」

 俺は無駄な筋トレって嫌いで、そっち方面はきちんと勉強してる。どこの筋肉がいって、どこがいらないか。遠山は俺なんかより随分ガタイがいいけど、闇雲に鍛えたのか泳ぐには不要な筋肉がいくらか発達している。

「でも、悪くないんじゃね?
 俺、あんまり筋肉つかねぇし、ちょっと羨ましいけど」

 遠山の胸筋に手をあてる。鼓動と一緒に振動してる、小麦色の綺麗な体。女だったら、手に入れたいと思うだろう逸品だ。

「せ、先輩っ。
 手、ヤバいんで…っ。
 触られんのダメなんスよ、今、欲求不満で…」

 促されて目を向けて、絶句した。勃ちかけって、おいおい。お前は自分よりデカイ野郎相手に欲情すんのかよ。
 …慎吾も、そうだっけ。

「そう警戒されんのもアレなんスけど…。
 別に、先輩喰いてェってんじゃないんスけど、でも、ちょっと立候補していいっスか。
 今の相手、上手くいかなかったら、俺にしません?
 あ、先輩に女になれって言ってるワケじゃねーっスから」
「当たり前だっつの。
 俺は女に事欠いてるワケじゃねーし、お前なんか相手にするかっつの」
「でも、先輩の相手、矢嶋サンなんしょ?」
「…!?」

 何でお前が知ってんの!?
 誤魔化す前に思いっきり反応してしまって、もう今更取り繕えない。
 微妙な告白してくれた相手だ、蔑視とかそんなのはないと思うけど、バレてたって分かっただけでスゲェショックだ。

「そんな、蒼白なツラしないで下さいよ。
 脅すとか、考えてないッスから。
 でも、俺、結構マジに先輩好きっスから。覚えてて下さいよ?」
「……忘れられるかっつの。
 お前、選び放題なんだからいい子探せよなァ…」

 何が嬉しくてこんな手近で…。俺も人の事言えないけどな、慎吾は俺なんかより、ずっと男前だぞ?

「…矢嶋サンより、俺は先輩の方が好きっス。
 断然、美人じゃねーっスか」
「俺が美人に見えるんなら迷わず眼科に行ってこい」

 げっそり疲れて、そんな軽口を返した。
 遠山は、しょうがないなァと言わんばかりに苦笑って、それでも真剣に言った。

「俺、気ィ長い方なんで。
 いつでもいいんで、言って下さいね?」
「…わかったよ、ったく、勿体ねぇなァ」
「そう思うんなら、別に先輩二股とかしてくれていーっスよ?」
「馬鹿、自分でそういうこと言うなって。
 俺、お前キープしとく気、ねぇから。彼女作っても、お前の誠意、疑ったりしねぇし?
 …ホモ疑惑流れる前に作れよ、オンナ」

 ヒョイと遠山は片眉を上げて、溜め息をついた。

「ハイハイ、できるだけ、先輩の負担になんないように心掛けるっスよ。
 ホント、先輩ってセンパイっスよね。
 俺、気持ち悪いとかフザケンナとか、殴られんの覚悟だったんスけどね」

 良くも悪くも、独特。ソコがいいんスけど。

「そんじゃ、今日は失礼するっス。
 先輩も、適当に帰んないとダメっスよ?」

 ヒラヒラと手を振る遠山を見送って、暮れていく太陽に気がついた。
 全く、俺の周りには趣味が悪いのが多い。
 問題と解決が同時に来た悩み事に、もう一泳ぎだけして帰ろうと決めた。


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