POP LOVERS 3

 空はどこまでも青く清々しいのに、その場の空気は重く暗く凍っていた。
 プールの更衣室の裏側、男が二人、対峙している。二人共長身の部類に入り、服の上からでもしなやかな筋肉を纏っている事が窺えた。

「…お前、どういうつもりだよ」
「何がっスか」

 発された低い声に動じた様子もない。どこか飄々とした男は、その要望に似合わぬほど強い眼差しで受け流す。

「…っザケンナよ、裕輔のことだよ。
 あいつに触ってんじゃねーよ」
「別に、変なコトしてねーっしょ。
 部活ン中での、コミュニケーションじゃねースか」

 そう言いながらも、あからさまな挑発を孕んだ笑みを向けた。

「アンタこそ、あの人どーするつもりなんスか」

 同じ高校という以外に共通点のないはずの二人は、ある人物を挟んで因縁浅からぬ仲にあった。
 本来、先輩に対して許されるはずのない強気な態度は、彼自身のキャラクターでもあったのかもしれないが、事に色恋においてのライバルが相手となれば穏便に対応出来得る由もなかった。
 部活後の、未だ水濡れた髪を掻き上げて、目の前の“敵”を睨みつける。

「女と二股にする気だってんなら、俺が貰う」
「テメーにゃ、勿体ねーよ」

 憎々しげに、歪んだ表情。
 吐き捨てるように言って、距離を詰めた。学生シャツの釦を留めないままの、赤いTシャツの胸倉を掴む。

「裕輔は、俺のだ。
 汚ェ手、出してくんじゃねぇよ」
「あぁ!?
 俺のってなんだよ、あの人はモノじゃねーっつんだよ」

 同じく相手のシャツを掴んで、額をぶつける。既に敬語ですらなくなり、一触即発の空気。
 燦々と輝く太陽の下、大柄の男が二人で、非常に暑苦しい図だ。
 しかし本人達は至って真剣、痛いほどである。

「モノとか言ってるワケじゃねーよ。
 クソっ、俺だって好き好んでちんたら女と付き合ってるワケじゃねーっつーんだよ」

 僅かに瞼を伏せた相手に、不快感を隠そうともせず男は柳眉を逆立てた。

「何であの人に惚れてんのに、女なんかと付き合ってんだよ?」
「…っ、裕輔が…!」
「俺が、何?」

 不意に割り込んできた三人目の声。振り返った二人に視線の先に、すねの辺りまでトラウザーズを捲り上げ、タンクトップ一枚を着込んだ男子生徒の姿。

「裕輔!?」
「センパイ!」

 二人は弾かれたように互いから手を離した。
 あからさまな反応に、裕輔は苦笑を浮かべる。

「そこで着替えてんのに、大声で怒鳴りあってちゃまる聞こえだって。
 …にしても、このクソ暑いのによくそんな近寄ってられんなァ」

 スポーツドリンクのペットボトルをちゃぷちゃぷと揺らしながら、日陰まで足を運んで。

「つーか、お前ら全く不健全だな。
 思わず、『俺のために争わないで』とかやりそうになったぞ」

 半眼にした目を順に二人に向け、裕輔は溜め息をついた。

「慎吾、遠山に絡むんじゃないよ。何もないんだからさぁ」

 ねェ、と遠山に水を向けた裕輔は、コンクリートの上に腰をおろした。

「そう断言されるのも、何か悲しーんスケド」

 苦笑いを見せ、同じように座り込んだ遠山からは、すでに戦意は喪失しているように見えた。
 二対の目を向けられた慎吾は、気まずそうに頭を掻いた。

「だってよぉ…」
「だってって、なんだよ?
 俺の浮気気にする暇があったら、自分の現状何とかしなさいよ」

 傍らの後輩に凭れながら、恋人候補の不誠実を詰っている姿は、お世辞にも誠意のある態度とは言えない。口元にも、チラリチラリと悪戯な笑みが影を作っている。

「だから、そーゆーのやめろって!
 お前、そうやってすぐオンナ作るから、俺も…!」
「「いや、オンナって」」

 裕輔と遠山、二人分のツッコミ。綺麗にハモったタイミングに、慎吾はますます苛立った。

「そんなの俺の勝手じゃん、別に付き合ってたワケじゃねーんだし。
 お前と付き合えるとも思ってなかったし」

 今も大して思ってないけど、というのは少し寂しげな裕輔の笑みが伝えた本音で、それは慎吾の想いを信じていないからではなく、世間への諦めが作らせた一種自衛本能ともいえる裕輔の心理だったが、慎吾と遠山はそうと気がつくには同性同士の恋愛という特殊な状況に関する経験が浅すぎた。

「先輩…」
「まぁ、俺と付き合ったりしたら色々言われるだろうしさ、今までが今までだったし?
 俺もそれなりに告白されてるわけだし、別に無理してミカちゃんと別れる必要なんかねーよ」

 さっきの、何とかしろ云々は冗談だから、気にしなくていいよと裕輔は笑った。

「…お前、そいつと付き合うのかよ?」
「さァねェ、どうせすぐふられるだろーし」

 今までもそうだったし、と気のない風に言って、立ち上がった。

「慎吾が好きだって言ってくれてる、俺は男だ。でも、お前はゲイってワケじゃい。
 それは遠山もだろ?
 俺のどこがイイのか知らないけど、よく考えないと後悔するよ」

 立ち去ろうとする背中に、慎吾は唇を噛んだ。
 自分の気持ちは本物のはずなのだ。裕輔が好きだと自分で認めるまでに、随分と悩んでいる。そうして漸く告白したというのに、あまりに裕輔に伝わっていないように思えた。
 その思いは、遠山も同じで。

「…後悔って、じゃあ、先輩はしてんスか!」
「俺?」

 肩越しに振り返った微苦笑。

「俺は、女より男が好きだ。
 でも、それは全然幸せじゃない」

 世間一般と同じが一番だよ、呟いて、裕輔は姿を消した。
 残された二人は、暫くの間、ただ呆然と立ち尽くしていた。

□■□

「ねェ矢嶋サン、俺らと先輩の違いって、何なんスかね」

 並んで日陰に座り込んで、遠山は慎吾に問うた。
 目は遠い空を流れる小さな雲に向けられている。最早先ほどまでの緊迫した雰囲気はなく、途方に暮れた男が二人、今後を模索するうら寂しい図があるだけである。

「…俺たちは、男に惚れたのはアイツが初めてで、アイツはそうじゃないってコトじゃねーの?」
「…それって、先輩は矢嶋サンだけじゃなく、男の体に欲情できるってコトっスか」
「………男の体にも、だろ」

 慎吾は両脚を放り出したまま、投げやりに言った。

「…大変だ、じゃあ、先輩が喋る相手全部に嫉妬しなきゃなんねーの」
「はァ?」

 暫くの沈黙の後に、遠山が出した答え。あまりにあっけらかんとしたその声音に、慎吾はまじまじと遠山を見詰めた。

「あれ、何驚いてんスか。
 俺、全然諦める気ないスから。
 先輩がオンナ好きでもオトコ好きでも関係ねェっつーか、逆にオトコ好きで嬉しいっつーか。だって、好きになって貰える確率上がるじゃないスか」
「うわ…、おっ前よくそこまで…」

 あっさりと結論を出した遠山に、慎吾は眉を顰めたけれど。そんなライバルを、遠山は嘲笑った。

「矢嶋サン、実は本気じゃなかったんじゃないっスか?
 今でも一時の気の迷いかも、とか思ってんでしょ」
「…っ」

 あんなに俺を牽制しといて。
 遠山に何を言われても、揺れ始めた慎吾には反論のための言葉を捕まえることはできなかった。
 裕輔の人柄は好きだし、顔も思いきりタイプだ。だが、その裸身を前に本当にコトに及べるのか。幾度となく水着姿の裕輔を見ているけれど、興奮状態になった記憶など慎吾にはなかった。

「勃つ勃たないが全てじゃないでしょーケド、結構重要だと思いません?」

 畳み掛けるような遠山の台詞。
 黙ったままの慎吾に肩を竦めて、遠山は立ち上がった。

「矢嶋サンがいかねーんなら、俺、押していきますから。
 …つーか、アンタと一緒になって、先輩が幸せになれるとは思えねースよ」

 顔を上げない慎吾を一瞥して、その場を後にする。
 慎吾は地面を睨みつけたまま、ただ只管に裕輔の事を考えていた。


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