POP LOVERS 4

 あれだけはっきり言ってやったにもかかわらず、相変わらず遠山は俺に懐いていた。
 泳いでいる時に強く感じる視線は間違いなく遠山のものだったし、以前にも増して俺の指導を請うようになった。俺が迷惑だと感じない、ギリギリの範囲まで俺に纏わりついて、嬉しそうに笑っている。そんな遠山の姿に、俺は随分気を許してしまっていた。

「京本センパイ、明日雨だったら、映画行きません?
 俺、奢りますから」

 何の臆面もなくデートの誘いをかける後輩に苦笑して、学校が終わってからなと答えた。明日は月曜日で、市営の屋内プールは休館している。
 土日返上で泳ぎに来ている部員達を見渡して、皆熱心だなぁを感心した。

「何言ってんスか、センパイが泳いでるって聞いて、皆学校来てんじゃないっスか」
「俺ェ?」

 別に部長ってわけじゃない、趣味の為だけに顧問の手を煩わせている俺のせいで、この出席率90%以上の状況が出来るというのか。そんな馬鹿な。皆次の大会を目指して寸暇を惜しんで練習しているに違いない。自分の価値観のみで、部員全員をホモ予備軍にしてはいけないのだ、遠山よ。

「男も女も皆俺のライバルっスよ。
 特に目立ってんのは、あのヒト」

 プールと外を隔てるフェンスに凭れて、遠山はグランドの果てにあるバスケットコートを指した。暗褐色のコンクリートに固められたそこで、豆粒ほどの大きさの生徒達が右に左に走り回っている。その中で、一際目を引く動きをしているのが俺の親友で、恋人候補だった矢沢慎吾だ。現在も継続して候補だと挙げたいところだが、なかなかに厳しそうだ。

「…でも、今のままなら勝手に脱落してくれそうっスけどね」

 そう、遠山の言うとおりだった。
 あの日から、慎吾は俺に話しかけてこなくなった。その代わりのように、彼女である部活のマネージャーと仲良くしている。登下校は勿論、昼休みにも一緒にいるようだ。恋人同士の仲が睦まじいのはめでたいことだ、当人達にとっては。
 一度は好きだと言って貰い有頂天になりかけた俺だったが、ノンケを信用してはいけないという自戒は役に立っているようだ。
 早く成仏してくれよ、我が不毛な恋心。

「…センパーイ、目が切ない恋する乙女みたいになってるっスー」
「おう、まだ哀しく恋愛中だ」
「…っ、ちぇーっ。
 まぁ、いいスっよ。そのうち、俺に夢中になって貰うっスから」

 取り敢えず明日、忘れないで下さいね。
 無闇にポジティブな後輩は、にっこり笑って立てた小指を差し出した。

□■□

 そして翌日、天は見事に号泣を果たした。
 目に映る限りの空は重い雨雲に埋め尽くされ、銀の糸を絶えずばらまいている。
 安いビニル傘を叩く雨粒が、地面にわだかまって歩行者の通行を邪魔していた。昨日眺めていた青空は、暗雲の向こうで虚しく広がっていることだろう。

「…お前、さては昨日雨乞いの踊りでもやらかしたな?」
「ははは、知ってたら毎週月曜に向けてやり続けるっスよ」

 …あんまり遭遇したくない場面だという俺の内心は、正直な顔が語ったらしい。
 だからやってないですってと、遠山が俺の想像を打ち消そうと躍起になっている。

「まぁ、俺は事実がどっちだって構わないんだけどな。
 それで、今日は何を見せてくれるんだ?」
「んんー、恋愛モノとホラー系とSFアクションと…、どれが良いです?」
「…SFで」

 恋愛は兎も角ホラーを俺と観ると、同行者は非常に可哀想なことになる。そっち系が全くダメな俺は、全力で相手の腕を握り締めてしまうからだ。女の子がやれば可愛いだろうそれも、大柄な俺がやるとただ痛いばかりの拷問に等しくなる。慎吾あたりは疾うにその事を理解していて、絶対にホラー・スプラッタの類に俺を誘わない。

「じゃあ、○×映画館っスね。
 18:20からのと21:10からのとがありますけど、どっちにします?」
「6時の方で。観てから飯でいいんだろ?」
「飯も付き合ってくれるんスか!?」
「一応、デートらしくなるだろ?」

 制服だから、ファミレスぐらいにしか入れないけどな。
 嬉しそうに笑った遠山の髪を軽くかき回して、映画館までを急ぐでもなく歩く。繁華街に程近いうちの学校には、『寄り道禁止』という役に立たない校則はない。絶対に守られないと分かっているからだ。その代わりのように『節度を守る』という素晴らしい一文があった。過去のセンパイ方の栄光が目に浮かぶようだ。節度ってどれくらいだろうと遠山に問えば、迷惑にならないって事じゃないっスかと返ってきた。

「迷惑?」
「そう、街の人たちの迷惑とか、まァ一番は学校のってコトなんでしょうけど。
 なんにしろ、かなり広義なのは間違いないッスね」
「あー、なるほどな。
 じゃあこっちは守ってるつもりでも違反しちまってるってこともアリってコトか」
「そっスね。
 ほら、食べ歩きだって文句言うのとそうじゃないのとがいるじゃないっスか。
 そういう、主観によって意見が変わるような問題じゃねーっスか」

 だからまぁ、見てる相手がどう思うかを考えろってことっしょと括った遠山に、だったらこの校則って実はかなり面倒臭くないかと唸ってしまう。遠山が、小さく笑った。
 俺と遠山との会話はいつだってこんな調子で、どっちがセンパイだかわかりゃしない。こんな俺と一緒にいて、楽しいんだろうか。

「楽しーっスよ。だって、される質問が予想外な事が多いっスから。
 センパイの思考回路がどうなってんのか、スゲー気になる」
「失礼な…、人を変人かなんかみたいに…」
「ははっ、そう聞こえたんなら謝りますよ。
 でもぶっちゃけ、俺今先輩に惚れてるっスから、何してたって楽しいっス」
「身も蓋もないこと言うな、お前。
 まぁ、楽しいんならいいんだけどさ」

 ポケットに手を突っ込んで歩く。一緒にいるのがカノジョだったら、手のひとつでも繋いでいるところだろうが…、相手が遠山じゃあ実行する気にはなれない。
 別にそれは生理的嫌悪感に起因するわけではなくて、ただ社会的に奇異と受け取られる行動だからだ。男同士が手を握り合って歩くことが許されるのは、せいぜい小学生くらいまでだ。
 小学校時代には既に女よりも男が好きだという自覚のあった俺は、スキンシップ過多の子ども時代を送った。小学校も高学年になる頃には男が男に惚れる異常を知ることになった。俺の親友だった男子生徒が教えてくれたことだ。

『裕君、あんまり男友達に、好きって言わない方がいいと思う。
 俺も裕君の事好きだけど、俺と裕君の好きって、違う好きなんだろ?』

 友達同士の“好き”と恋愛感情の“好き”が別物だということくらい、俺も知っていた。だが、“好き”という言葉は一般的に異性に対して使うものだという事を、ここで刷り込まれたのだ。彼のおかげで、今日まで俺はゲイとして迫害を受けずにすんでいる。まぁ、女をとっかえひっかえする嫌な男だという、少々不本意なやっかみは頂いているが。

「あ、センパイ、ここっスよ。
 えっと、高校生二枚で」

 行き過ぎかけた俺を呼び止めた遠山は、昨日の約束どおりさっさとチケット代を払ってしまった。更に、コーラ二つとキャラメル味のポップコーンを買ってくる。多分、彼女相手にも嫌味なくこういうことが出来る男なのだろう。控えめな強引さが、思いのほか心地いい。

「お待たせしました。行きましょ」

 さっさと席まで決めてしまう。どうやら俺は、エスコートされる側の方が性にあっているらしかった。

□■□

 熱せられた黒いプレートの上、和風ハンバーグがじゅうじゅうと音を立てている。付け合せのポテトとアスパラガスのバタ焼きのところまで広がったたっぷりの肉汁が、ファミレスの食事にしては随分と食欲を誘っていた。
 目の前では遠山がチーズのふんだんにかかったミートスパゲティと、カリカリのクルトンの入ったシーザーサラダ、冷静ポテトスープを見ていて気持ちの良くなる勢いで食べている。
 会話に上るのはやはりさっきまで観ていた映画の話だ。CG効果が上手く画面に融合していたあれは、予想していた以上に面白かった。難点を挙げるならば助演女優の演技の拙さだ。洋画だったにもかかわらず日本人が気付くほどの大根役者を起用した監督の勇気を称えたい。

「センパイって、映画観てても女優よりは男優に惹かれるんスか?」

 遠山の質問は唐突だった。だが、同性である俺が好きな彼にとっては、その辺りは重要な関心ごとなのかも知れない。

「まぁ、基本的にはな。
 でも好きな女優だってちゃんといるし」

 今日に限って言えば、別に誰に惹かれることもなかった。俺は西洋人よりは東洋人の方が好きだ。

「おまえは女優の方が良いんだろう?」
「そりゃあ。
 男に惹かれるのなんか、センパイが最初で最後っスよ、きっと」

 ニコリと笑った雄の色香。コイツ、こんなところで欲情してやがる。
 僅かに顔を歪めた俺に気がついて、遠山は掌で自分の顔を撫でた。

「スンマセン、モノ欲しそうなツラになってましたか」
「…いや、ツラっつーか、気配が」

 お前童貞かと訊けば、首を横に振った。

「最初ンときは、合コン行ったときに年上のオンナに喰われて。
 …っ、笑わないで下さいよ!」
「……っ、悪ィ…っ」

 必死で押し殺していた笑いがバレた。けど、笑いたくもなる。俺のほうがよっぽどちゃんとしたハジメテだ。
 暫く不貞腐れたように黙ってスパゲティを口に詰め込んでいた遠山だったが、不意に真剣みを増した眼差しで俺を捉えた。

「センパイって、どーなんスか。
 その、オトコと、そーいう経験、あるんっスか」

 俺は口の中のハンバーグを噛み砕き、嚥下し、ジンジャーエールで口のベタつきを流してから遠山に答える。

「ねぇよ。
 オトコ相手には、何もねェ。
 女も抱けるから、ヤりたくなったら女ナンパしてた」

 そのまま彼女になったのもいれば、その日限りのもいた。彼女達のとセックスや性格の相性は、歪みに耐え切れずどんどんマイナス値に変化していくのだけれど。

「なァ遠山。
 ぶっちゃけ、お前俺に抱かれたいの、それとも抱きてーの?」

 ハンバーグの最後のひとかけを、白いご飯と一緒に口に放り込む。
 遠山は、皿の底にまだ少し残っているシーザーサラダを脇へ避けて、フォークを皿の上に置いた。

「俺は、実際ンとこどっちでもいいんス。
 先輩に惚れたのがまず最優先で、それから先輩に触りたくなって。
 …俺も男っスから、抱かれるよりは抱く方で想像しちまうけど、センパイがしてくれんなら抱かれたってかまわねーっつーか」

 言葉を探しながらの返事は、俺が思っていた以上に遠山が本気だということを伝えてきた。多分こいつは、俺をネタに抜いている。
 水泳部である俺は露出度が非常に高いから、痴態を想像することは容易いだろう。その分、誤魔化しも効かないのだが。
 俺はどうだ。遠山の身体に欲情し、勃起できるのか。
 答えは、応だった。
 性格も随分気に入っているのだ、綺麗な身体をしているし、顔だって悪くない。
 そもそも雑食もいいところの俺だ、俺の方に障害となる要素など何もないはずだった。今までにだって、慎吾の事を思いながら、女達を抱いてきたのだ。遠山に対してだけ、それが出来ない道理はなかった。
 でも。
 俺は遠山の事が気に入っているからこそ、この後輩にだけは手を出してはいけない気がしていた。迂闊に手を出して、彼を失いたくはないのだ。
 それこそ態のいいキープではないのかと自問する。
 そうだ、俺は遠山の言葉に甘えてしまっている。待つといった彼の言葉に。
 俺は慎吾への万が一の可能性を捨てられず、かといって遠山を失うことも耐えられず、中途半端な状態にある。
 きっと、遠山に言えば気にしないと言ってくれるのだろうけれど。

「俺は、お前を抱くことも抱かれることも出来ると思う。
 でも、今はすごく曖昧なんだ。
 俺自身が決められていないから、お前には手を出せない」
「…わかってるっス。
 センパイ、案外真面目だから。
 でも、イッコだけ」

 目を伏せて頬を赤らめた遠山に、何となく予想できる言葉はあった。
 分かったよ、でも、ここでは無理だろう?

「…遠山、外、いこ」

 伝票を持ってレジへ向かう。
 後をついてくる気配を感じながら、さてどこに行こうかと心当たりを探し始めた。


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