BLUE-HIGH

「殺されたいと言うのなら、殺してやってもいいが?」

 その土地特有の青い目で無慈悲に見据えて、キッシュは男の髪を掴んだ。
 何の感情も浮かばないその冷えた瞳は本当に男の返事を待っていて、さぁどうするといっそ穏やかなほどの沈黙をその場に強いていた。

「あ…、ぅ…」

 髪を掴まれた男は全身を苛む痛みを忘れるほどの恐怖に、言葉を発することさえ出来ず、自由にならない首を繰ろうとしていた。死にたくはない、と。

「ふうん、俺を殺そうとしたお前が、殺される覚悟もしていなかったと言うのか?」

 すうと細められた目には矢張り感情は窺えず、男にはこのまま殺されるのかそれとも問いかけに意味を見出して助けられるのか分からなかった。キッシュが化け物のように強いという噂は聞いていた。決して誰も勝てないと言われているのも知っていた。しかし、自分なら。
 そんな愚かな思い上がりのおかげで何人もの同業者が命を落としていったのだと、今こうしてキッシュに捕らえられて悟る。今更遅い、と思い、忠告をくれていた仲間と言うほどでもない仲間達に、お前らは正しかったよと声には出せないまま呟いた。
 長い長い沈黙の間に、男の心は急激に温度を下げていく。もう仕方がない、仕事に失敗すれば命はないのだと、嘗ては分かっていた筈だ。無様に全身は振るえ汗が滝のように流れて入るけれども、今が閉幕の時なのだろうと冷えてしまった心が判断した。ならばせめて見苦しい真似だけは避けようか。キッシュによって消された同業者達の最期など伝わってはこないが、もしかしたら自分のように冷静に消されていったのかも知れない。
 そうして次第に落ち着いていけば自分の居る場所にも目は向き始める。見えているのはコンクリートが剥き出しの、安いアパートの天井。スチール製の無機質な電灯は短い攻防の余波でゆらゆらと揺れている。自分がキッシュと争ったのはほんの五分にも満たなかった。真夜中のアパートに忍び込んで、ベッドに近づいた時点で男の命運は尽きていた。攻防と言うほどのものでもない、ただ一方的に殴られ動きを封じられて、そうして問われたのだ。

『殺されたいと言うなら、殺してやってもいいが?』

 手を伸ばしても届くはずのないところに自分の獲物は転がっていた。この家業を始めてから片時も手放した事がなかった銀色のギミックナイフ。薄闇の中でそれは鈍い光を放ち、自分の手に戻る事を望んでいる。どうせならば。

「……れで…」

 絞り出した声は矢張り震えていたが、キッシュは男の視線を辿り言わんとするところを察した。
 それまで何の感情も見せなかった目に僅かに色が混じった。それは面白いものを見つけたと言わんばかりの眼差しで、嘲笑の気配はなく純粋な興味のみが読み取れる。
 唐突に男はキッシュの歳を思い出した。データブックに載せられている僅かな情報の中に『現在十七歳』の文字を見たときの衝撃。自分よりも一回り以上年若い少年に同業者達は消されていったのだと。
 一体何人手にかけてきたのだろう、彼自身は望んではいない殺人。今だって、自分が忍び寄りさえしなければ。

「ご…、めん、なァ…」

 酷く殴打されたせいで、上手く喋る事が出来ない。それとも、死を間近に捉えた恐怖の為か。息をするのが、少し苦しい。
 喉元に突きつけられていたキッシュのナイフが、少し動いた。

「…なんでお前が謝るんだ?」

 お前も仕事で来たのだろう、賞金を賭けられているこの俺の首を取りに。
 キッシュは自分のベルトを抜くとそれで男のナイフを拾い上げた。空気を裂く鋭い音が鳴って、ベルトは主人にナイフを差し出す。
 キッシュの手に納まった男のナイフは、まるで出来上がった瞬間からその手にあったかのように何の違和感もなく握られていた。恐らく、男が手にしていた短い時間だけでその特徴や癖を見抜いてしまったのだろう。キッシュは男の喉元にあった自分のナイフを鞘に仕舞うと、男が望んだ銀色のナイフを代わりに当てた。

「さて、もう一度訊く。
 殺されたいと言うのなら、殺してやってもいいが?」

 今度は男には理解できない類の、少しずつの感情が入り乱れた眼差しだった。怒りや悲しみや愛しさ、いっそキッシュから向けられる筈のない色が静かに注がれていて、読み取れたのは殺したくて殺すのではないという少年の悲哀だった。

「死にたく、ない…。
 お前に、ころ、されたく、ない…っ」

 平静だった心は一瞬垣間見えた少年の感情にぶつかって、呆気なく混沌へと落ちて行った。しかしそれは純粋な死への恐怖からではなくキッシュの手にかかることへの恐怖。敏感に察した少年は、戸惑いを隠そうともせずほんの少しだけナイフを遠ざけると、男を見つめて首を傾げた。

「俺以外になら殺されてもいいということか?」

 不思議なものを見た、とその目が語っている。キッシュの腕ならば死の瞬間を意識する暇もなくあの世に旅立てるだろう。敢えて、苦しみたいのかと。

「ちが…っ、そ…じゃ、なくて」

 何故自分は己の命を握っている者に、こんなにも必死で弁明しているのだろう。これは、命乞いとは掛け離れているというのに。
 普段ならば考えられない行為に費やすには持ち合わせる言葉は少な過ぎ、男は感じた事のごく一部さえ伝えられず歯噛みをした。自分が口にするのは筋違いだと思ったことも、それに拍車をかけている。この状況を作ったのは、間違いなく男の方だ。

「…可笑しな奴だな、やる気が失せた」

 はなからそんなものは感じられなかったと男は思う。やる気も殺気もなく、まるで単調な作業をこなすかのように自分の命を絶とうとしていた。
 ふ、と胸の上の圧迫がなくなる。キッシュは立ち上がり、男の腕をベルトで縛った。感情な合金のベッドの柵に括り付け、男の懐からナイフの鞘を取り出した。

「警察に行くか、このナイフを置いて逃げるか、体を差し出すか」

 男にとって警察とはそのまま死刑執行に直結している。キッシュには及ばずともそれなりに人を殺してきた、しかも非合法で。傭兵登録をしているキッシュとは違って、男が犯してきた殺人は罪になる。最初の選択肢は、論外だった。
 それからキッシュの手にしているナイフを見つめる。これから生き延びていくにはあのナイフは欠かせない。商売道具であるのは勿論、親から貰った唯一の、心の支えだった。仕事をする前には必ずあのナイフを胸に抱いて竦みそうになる気持ちを盛り上げていく。きっと、本当はこの仕事には向いていないのだ。他に生き方が分からないだけで。
 でもだからと言って体を差し出すのも嫌だった。だがこの最後の選択肢には、感情以外に抗う理由がない。例え今此処で犯されたとしても、今後生きていくのには障りはないのだ。自分が選べるのは、これしかない。

「……ァ…」

 そう分かっていてもそれを口に出すのは酷く憚られた。命を請う為に、自分を抱けと言うのは男のプライドが邪魔をした。恐らく、自分でなくとも容易くは言い得ないだろう。
 唇を噛んだ男を、キッシュは尚見下ろしているだけだ。蔑んでいるわけではないようだが、彼には男が出す答えが分かっていて、それを待っているのだ。
 悔しい。
 男は唇を噛んで鼻の奥にある沁みるような痛みを堪えようとしたが、殺し損ねた感情は男の目から水分となって転がり落ちた。

「…ふ」

 今度ははっきりと声に出して笑ったキッシュは、ナイフをベッドサイドに置いて男の上に座り直した。
 カーテンの隙間から洩れ入る銀の光はごく弱いものであったが、男の目にキッシュの顔を映すには十分だった。
 笑みを刷いた紅い唇。人外の者のように見える美貌は、男の恐怖心を寄り煽り立てた。

「ぅ、ぁ…」
「そんなに恐がる事はないだろう?
 実際にとって喰おうと言うんじゃない、目を瞑って聖典でも諳んじてな」

 そんな信仰心があればこんな職業になど就いてはいない。揶揄われているのが分かっていても、一度沁みついてしまった恐怖心はそう容易く払拭できるものではなかった。

「…やれやれ。
 そう強張られると、面倒なんだがな…。
 あぁそうだ、お前、名前は」
「………J」
「じぇい?」

 沈黙の後に返った男の名はアルファベット一つで、そしてそれでおしまいだと自嘲を見せた。

「…こんな稼業をやっていれば、名など記号一つで事足りる」
「そうかな。
 …まぁ、そんなものかな」

 キッシュ自身『銀流』という通り名があった。スピードに長じたキッシュの戦闘スタイルからついた二つ名だが、確かにそちらで呼ばれることも多かった。彼自身が、それほど好いていなくとも。

「J、痛い思いをしたいか?」
「……野郎に掘られて感じるよりは」

 それも、こんな場面では尚更御免だ。
 Jの思いは正確にキッシュに伝わったが、ニヤと笑ったキッシュにはJの気持ちを汲んでやるつもりなどないようだった。


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