CAT 1

 朝起きたら、頭のてっぺんに耳が生えていた。
 鏡を見て確認したから間違いない。明らかに猫の耳だった。
 俺の髪に合わせたのか、嫌味のように金と黒のツートンカラーだ。暫くカラーリングにいけてないからな。
 そんなことを一瞬でも思ったのは、明らかに現実逃避というヤツだろう。
 次に考えたのが、あぁ、今一人暮らししてて良かったということだった。心臓の弱い母親あたりが、俺のこの姿を見たなら、驚きで凍りつく事間違いなしだ。おっと、凍りつくのは心臓が、だが。
 そうしてやっぱり現実から少し逃避して、漸く俺は慌て始めた。一体、どうしてこんなことになったのか。この状況をどうやって回避したらいいんだろうか。
 誰かに相談してみようかな。でも、相談するってことは、この姿を晒さなきゃいけないってことで。
 俺が、普通の17のガキならまだマシだったかな。まぁ、するだけ無駄な仮定だな。一応、族の副長なんて、面倒な位置にいる俺だから。

「あ、そか」

 なんだ、簡単じゃねーか。
 総長に相談してみりゃいい。俺より頭が良くて、そんで、ずっと冷静な。
 そう思い立って、ケータイのナンバーを呼び出した。数回の呼び出し音の後、すんなりと総長に繋がった。

「あ、寺尾サンっスか。俺っス、西条にゃんスけど…っ」
『…噛んだのか?』
「いえっ、あの…っ」

 クスクスと総長の笑い声が聞こえた。別に、噛んだわけでも、まして敢えてこんな変なこと言ってるわけでもない。勝手に、口が。

「あ、えと…っ。
 ちょっと、相談が…っ」

 下手なこと言えば、また妙なこと口走りそうで、喋り方が不自然になる。
 暫く沈黙した寺尾サンは、俺の様子にただならぬ物を感じたのか、ちょっと待ってろと言って電話を切った。
 あの人が慕われるのって、こういう行動力にあるんだろうと思う。難しいことが説明できないヤツが多いのは、落ち零れた俺達の悲しいところで、そんな俺達の事情を分かってくれるからこそ、寺尾サンはこまごまと相談に乗ってくれていた。
 寺尾サン自身は、きっと彼の右腕って呼ばれてるあの人にしてるんだろう。
 矢鱈格好いいあの人、いつだって、寺尾サンに道を示して見せる。

「おい、ニシ、開けろ」

 電話を切ってから、ほんの5分経ったか経たないか。ひどく驚きながら開錠すると、ライダージャケットを着た寺尾サンが立っていた。きっと、ツーリングにでも行ってたところだったんだ。
 お手数取らせてスミマセンと口を開く前に、目を見開いた寺尾サンが、恐る恐るという様子で俺の頭に手を伸ばした。

「あ…っ、わっ、ちょっ、寺尾サ…っ」

 止めて、触んないで、矢鱈くすぐったいから!
 我慢できなくて奥に逃げたら、飾りじゃねーのかよとますます目を大きくした寺尾サンは、取り敢えずといった風情で玄関に鍵を掛け、靴を脱いで上がってきた。

「なんだよ、お前、着替えてもないのかよ」
「えっ、あ、スンマセン…っ。
 すぐ着替えますニャ…っ」

 また、出た。
 慌てて口を塞いで、寺尾サンの様子を窺えば、困ったように頭に手をやって、俺のことを眺めていた。

「何か知んねーけど、俺が呼ばれた理由は何となく分かった。
 でも、俺にどうにかできるとは思えねーけどなァ…」

 上はタンクトップ、下はハーフパンツという出で立ちの俺をソファに誘導して、寺尾サンは皮ジャケットを脱いだ。黒いTシャツに、厚手のブラックデニムの寺尾サンは、俺を宥めるみたいに肩を軽く叩いて、キッチンに立った。
 何回も寝泊りしてるから、寺尾サンにも勝手知ったるキッチン。ていうか、寺尾サンが買って置いていったコーヒーミルと数種類の豆とか、紅茶の葉っぱとかがあって、この辺は、寧ろ俺の方がさっぱり分からなかった。
 手馴れた様子で豆を量ってセットして、スイッチを入れた。すぐに機械音がし始めて、10分もする頃には珈琲のいい匂いが部屋中に漂ってくる。冷蔵庫を開けた寺尾サンは牛乳のパックを取り出して、マグカップに注いで電子レンジに入れた。
 30秒、チンと鳴ったそこから取り出されたカップに、クリアブラックの液体が注がれて、放り込まれた角砂糖の一つ、差し出されたのはカフェオレだった。

「飲め」
「ありがとうございます…」

 多分、今の俺の耳―――尤も、今朝から生えてきた方のだが―――は、くたりと寝てしまっていることだろう。
 俺は、途方に暮れてしまったような寺尾サンを見て、初めて恐怖心が湧いてきたのだ。彼がどうして良いのか分からない、という表情を分かり易く表すことなんて、滅多になかった。
 俺の不安を感じ取ったのか、隣に座った寺尾サンは、珍しく俺の肩を深く抱いた。
 普段は、俺相手には必要最低限の接触しかしない人なのに。

「…しょうがねェだろ、非常事態だ」

 ある日、俺は寺尾サンと他の男とのセックスを見てしまった。それまでも、寺尾サンが男ともヤれるの知ってたし、それを気持ち悪いとか思ったりした事はなかった。見ちまったその時だって、『うわ、スンマセンっ』てなくらいのモンで、幻滅したりとかは一切なかったのに。
 何でだか、それからこっち、一切男との接触が出来なくなった。喧嘩してる最中ならまだ平気だったけど、なんでもないときにスキンシップが全く取れなくなってしまった。触った途端、背中がぞわぞわして、そいつをぶん殴ってでもそこから逃げ出したくなってしまう。
 普段、スキンシップ大好きな俺だったから、すぐにそのことは仲間皆に伝わって、スゲェ申し訳なさそうな顔した寺尾サンから、『西条接触禁止令』が出た。
 そんな事情がある俺に、原因である寺尾サンは、本当に気を使って触らないようにしてくれてたから。

「……大丈夫か、気持ち悪くないか?」
「平気っス。
 スンマセン、俺みたいな…。
 もっと、ちっさくて可愛いヤツなら良かったんスけど…」

 180近いガタイと、普通にしてるだけでも子供がビビる最悪の目付き(別に、面は悪くないと思う。オンナにはもてる)の俺じゃ、どう考えたって寺尾サンの好みから外れている。
 そう言って思わず身体を小さくすれば、寺尾サンが喉の奥で笑った。俺が、好きな笑い方。
 くしゃくしゃと俺の頭をかき回して、吃驚するようなことを言った。

「俺は、お前なら抱けるし。
 見た目とかじゃなく、お前ってかなり可愛いぜ?」
「…!?」

 正直すぎる俺の体はビクンと跳ねて、つい抱いてしまった恐怖を寺尾サンに伝えてしまう。
 すぐに寺尾サンは腕から力を抜いて、逃げたきゃ逃げろ、みたいな態勢を作った。
 …そんなことされたら、逆に逃げにくいって。
 俺はゆっくりと身体から力を抜いて、寺尾サンの方に寄りかかった。
 やっぱりまた、寺尾サンは笑って、もう一度抱きしめてくれる。

「別に、強姦するつもりもねェし。
 暫く面倒見てやるよ、心配すんな」

 取り敢えず、一橋にだけは事情話しといていいか、と寺尾サンは、彼の右腕の名前を挙げた。俺は黙って頷いて、もう、全部を寺尾サンに任せてしまうことにした。

□■□

「お前、ヤられたことになったから」

 暫く出かけた後、戻ってきて開口一発目がこれだった。
 寺尾サンが右腕っていうか、殆ど参謀の彼に会ってきたのは知ってるし、出かける前に俺の今の姿写メで撮っていったのも分かってた。都内でも有名高校に通ってる一橋さんの考える事は時々突拍子もなくて、俺はただ、目を白黒させるだけの事がよくあった。
 今もまた、そんな感じで。

「は…?
 ヤられたって…、何で?」

 寺尾サンが言った「ヤる」が、「殺る」でも「袋る」でもなくて、「犯る」だと説明されたとき、俺はますます混乱してしまった。
 何で、いきなり。

「鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔してんな。
 いいよ、説明してやるから」

 取り敢えず、お前が集会や溜まり場に顔を出さない理由を、仲間達に言わなければいけない。
 でも、風邪や怪我では仲間思いの後輩達が、見舞いに行かないとも限らない。というか、面倒見の良いお前が動けない状態だって聞けば、絶対看病しにくるのは分かっている。
 で、仮病は使えないとして、だったら実家に戻ってるって方便もあるが、それじゃ俺がお前の家で寝泊りしてることに説明がつかなくなる。
 でな、暫く考えてた一橋が、『掘られちまって、男にゃ会いたくねーってのは?』ってな提案をくれたわけだ。
 因みに、助けたのは俺で、俺だけが例外で、触んなきゃまァ平気、ぐらいで。
 まことに軽い調子で寺尾サンは説明してくれて、なんだか釈然としないものの代案もあるわけではなく、あっという間に俺は処女喪失してしまっていた。
 うぅ、次に仲間達に会った時の反応が怖いぜ。

「一応体裁は作ったから、直るまでここに籠もってていいぜ。
 バイトとかメシ代とか、そういうのこっちでどうにかすっから」

 俺の頭から吹っ飛んでいた、そういった諸々の生活に密着した事象も、一橋さんとの相談の中で片がついてしまっていたらしい。
 本当に、重ね重ねお世話になりますといった感じだ。

「別に、大したことねーから。
 それよりよ、お前、平気か?
 俺がここに寝泊りしてても」

 強姦された云々は方便でも、寺尾サンが俺の面倒見てくれんのは事実で。別に、そこまでしてくれなくても良いって言わなきゃならないところだったけど、ちょっとそれは無理そうだった。
 寺尾サンが出かけていた3時間ばかり、不安で不安で仕方がなかったから。
 こんなんじゃ、寺尾サンの時間を拘束してしまうって分かってるのに、一人にされるのが怖かった。

「…多分。
 寺尾サンこそ、いーんスか」
「何が?」
「部屋にオンナとか、残してないんスか?」
「…バーカ」

 オンナとお前、どっちが大事だと思ってんだ。
 そう言って、寺尾サンは俺を抱き寄せた。
 知らないうちに毛布に包ってた俺を、そのまま腕の中に抱きこんで。

「こんなビビってるヤツ放っておけるような人間か、俺は?
 心配すな、オンナの一人や二人、すぐに作れる」

 それは俺を解す為の冗談や口先だけの強がりではなく、本当にオンナの事はどうでも良いんだと分かった。寺尾サンにとって、オンナって何なのかな。
 その時々で、彼が連れてるオンナは女性だったり男性だったり様々だ。そのどれもが、とても綺麗で、見栄えがする人間だった。
 セックスの相手なのか、それともアクセサリー代わりなのか。
 俺には、よく分からない。

「…お前は、そうだろうな」

 案外純愛するタイプなんだろ、と寺尾サンは揶揄って、さて、飯にしますかと立ち上がった。
 この人は、料理まで出来てしまう。

□■□

 翌朝、起きてほんの2分ばかり、ある事実を確認した俺は、盛大な悲鳴を上げた。
 俺の住んでるアパートは1LK(風呂トイレ付)で、リビングのソファに寝てた俺と寝室のベッドに寝てた寺尾サンとの距離はとても近い。
 当然のように、寺尾サンは飛び起きて俺の元に駆けつけた。

「…っ、し、尻尾が…っ。
 尻尾が生えてるニャー…っ」

 ケツの辺り…と言うか、背骨の終わりと尻の割れ目の始まりの、中間辺りがむずむずしている。
 ぱたりとソファを叩く音は、金と黒の毛に覆われた、長い尻尾が立てているもので。
 俺は恐慌状態になって寺尾サンにしがみついて、ガタガタと震えていた。
 どうしよう、俺、どうなっちゃうんだろう。
 散々親不孝はしてきたけど、人間やめちゃう事ほど悪いことってないような気がする。しかも、精神論じゃなくって物理的にとか。

「あー…、生えてんなァ、実に立派だよ…」

 寺尾サンは俺を抱きしめて、ポンポンと背中を叩いてくれながら、俺に生えてきた尻尾に手を伸ばした。
 グイ、とやられた。

「ヤっ、あぁっ。
 そこ…っ、やぁーっ」
「うわ」

 引っ張った寺尾サンも吃驚しただろうけれど、そんな声を出した俺の方が、もっと吃驚していた。
 普段、俺がオンナに出させていた声って言うより、AV女優が上げる芝居がかった喘ぎみたいな声だった。

「悪ィ、大丈夫か?」
「…っス。
 なんかその、スンマセン…」

 おかげで、パニック症状はキッチリ納まっちまって、おずおずと寺尾サンの胸から身体を起こした。
 …さっきの感覚のせいで、ちょっと勃ちかけてンのが恥ずかしい。

「一体なんなんだろうなァ。
 俺は、お前が可愛くなってって面白いけど…」
「ヒデェ…。
 つーか、絶対可愛くないし。俺に耳とか付いたって、可愛くなるわけないニャン」
「…っ、く…っ」

 寺尾サンは、顔を背けて肩を震わせていた。
 ハイハイ、俺みたいなのが、『ニャン』とか言ってりゃそりゃ、可笑しいでしょうけど。

「……も、笑ってもいっスよ…」

 この人が深刻ぶらないから、俺も随分気が楽になってきた。
 そうだ、ここで真剣な顔して悩まれたら、それこそ俺はどうにかなっちまう。
 この人は、敢えてこんな対応してくれてるのかも知れなかった。


擬獣化モノ?
こんなのはアリでいいんだろうか。
お気に召しましたら、お付き合い下さい。

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