CAT 2

 一頻り笑った後、寺尾サンはちょっと困ったような、それでいて真面目な顔をして、俺に言った。

「一応、親御さんに報告しとけ」

 そんなことないと思いてェけど、もしかしたらずっとこのままって事もあるから、と。
 時間が経てば経つほど言い難くなるから、早いうちに言っちまえ、と言われた。
 俺もその意見には賛同できたけど、親に「猫の耳と尻尾が生えた」と告白したところで、果たして信じて貰えるのか。

「ホラ、ケータイ貸して、こっちに尻向けろ」

 突然の寺尾サンの言いつけに、俺は首を傾げながらも従った。

「わっ!?」
「馬鹿、逃げんな」
「だって…!」

 いきなり、ズボンのケツの部分をズリ下げられて、焦んない奴なんていないと思う。上も脱げと促され、素直に従っちまうのは、もう寺尾サンに依存しきってるからだろうか。
 後ろで、カシャッという撮影音がして、ホラ、と差し出された。
 俺のケツの割れ目ギリギリの、際どい写真。ばっちり尻尾の生え際まで写っていて、こんな風になってんのかと思わず見入ってしまった。

「な。
 これ、送って説明してやれよ」

 どうせ、見ないと信じてくれないだろ、と。
 それもそうだと頷いて、俺はアドレスを探って、親のケータイを呼び出した。

「あ、俺、頼路。
 あのな、ちょっと、話があるんだけど…」
『なん、お金やったら送らんよ?』
「ちげーって。
 吃驚すんなよ、俺、猫ンなっちまった」
『………』
「あの…、お袋?」
『頼路、オメ、オナゴやったっけ?』
「………は?」

 今、ちょっと予想外のこと言われた。
 どうしよう、ショックが大きすぎてお袋がおかしくなっちまったんだろうか。

「あ、の…?
 ……ごめん、親父に代わってくれる?」

 朝早いこの時間なら、親父も家に居るだろう。

『あ、うん。
 ちょっと、父ちゃん、頼路が大変だよ』
『何言うとーや朝から、オナゴがどげんしたって?』
『やぁあ、頼路が猫ンなったってよ』
『……あんれまァ…』

 電話の向こうで、結構呑気な会話が続いている。
 流石に、何かおかしいと、俺でも気が付いた。

「どうしたんだ?」
「ヤ、何か、思ったより冷静って言うか、寧ろおかしいって言うか…」
『おう、頼路、吃驚したっとや?』
「あ、親父。
 そら、吃驚せんわけないやんね。
 けど、どげんして、そんな落ち着いとーや。
 冗談や、なかったい」
『わかっとーて、今から説明してやっから』

 そんで、親父曰く、こういうことらしかった。
 信じられない話だが、ウチの家では代々、こういう症状を発症する女性が結構多いんだそうだ。思春期の処女限定の症状だってことで、どうやら本気で好きな相手と、結ばれたくとも結ばれないって時に表れる。
 この時点で、オイちょっと待てと俺は突っ込みたかったわけだが、とどめが来た。

『母ちゃんと父ちゃんも、そげんして結婚したけんね』
「……!?」

 あんまり、聞きたい話でもなかったけれど。
 俺はダメージが大きすぎて、どうして良いのか分からなくなった。

「………俺、男なんだけど」
『やけん、母ちゃん訊いたっと。
 オナゴにしか出ん筈やけんど、オメ、突然変異ってヤツかね』

 親父は、けらけらと笑って恐ろしい事を言い足した。

『それ、好きあった男にヤって貰わねと、直んねぞ』
「…っおい!
 お前、それでいーのかよ!?」
『……よかねけど、仕方なかったい。
 精々、いい男にヤって貰えや』

 呆然とする俺を残して、元気でなという声と共に電話は切れた。
 煩わしい説明はしなくて済んだ代わりに、ワケのわからない事態に放り込まれてしまった。

□■□

「っはー、惚れた相手となァ…。
 何か、心当たりあんのかよ?」

 電話での顛末を寺尾サンに説明したら、こんなことを言われた。
 俺は、多分半泣きぐらいにはなってたと思う。

「あるわけないじゃねーっスかァ…。
 知ってるっしょ? 俺、男ダメなんスよ?」

 なんていうか、物理的に。
 接触できないモンに対して、好意を持つだろうか。
 それも、焦がれて焦がれて、どうしても抱いて欲しいほどの想いを。

「もー、ワケわかんにゃい…。
 俺、そろそろ泣いてもいいっすかァ?」

 ケータイを放り出して、俺は毛布に包まった。
 そのまま、寺尾サンに擦り寄って丸くなる。
 変なの。
 今なら、寺尾サンにくっついても全然平気…っていうか、寧ろ安心する。
 ゆっくり撫でてくれる手とか、煙草の匂いと混ざってる体臭だとか。そういう、『寺尾サン』を構成してる要素が俺の精神安定剤みたいだ。

「…もしも、誰かに抱かれなきゃなんないなら、俺、寺尾サンがイイにゃあ…」

 何言ってんだって一蹴されるんだろうって思ってたら、予想に反して、寺尾サンの体が、ピクリと揺れた。

「あ、の…?」
「…馬鹿、俺ァバイだぞ?
 ただでさえ、お前のこと可愛いと思ってんだ、矢鱈なコト言うモンじゃない」
「!?」

 吃驚して身体を起こすと、そのまま寺尾サンは離れて行ってしまった。
 どうしよう、怒らせたんだろうか。

「ご、ゴメンなさい…!」

 キッチンに立ってしまった背中に声をかけると、肩越しに苦笑をくれた。

「怒ってねーよ。
 でも、自覚しろ」

 お前、昨日から凄く頼りなくて、襲い放題だぞ。
 冗談だとは思う。でも、もし寺尾サンに我慢とか強いてるんなら、ここで一緒に過ごして貰うのって申し訳ない。
 俺、実家に帰った方が良いのかな。

「余計なこと考えんなよ。
 好きな相手に抱かれなきゃなんないんだろーが。
 自分でも分かってないんだろうけど、相手、こっちにいるんだろうが」
「あ…」

 そうだった。
 駄目だ俺、いつも以上に頭が回んなくなってる。
 考える事を放棄した俺は、コロンとソファに転がって、寺尾サンが料理してんのを見ていた。

□■□

 昼過ぎに、一橋サンが来てくれた。手には、ビールと缶チューハイの入った袋を提げてる。
 それを見た寺尾サンは、少し顔を顰めたけれど結局何も言わなかった。

「よぉ、猫耳生えてきたってな」
「…っス」

 有名進学校に通ってる一橋サンは、午後からの授業をふけてきたらしい。
 面白い物を見つけた、とその目は遠慮なく語っていて、余り日に焼けないんだそうな白い手を、俺の耳に伸ばしてきた。

「わ…っ、ヤ…っ!」

 途端に、俺に走ったのは恐怖心と嫌悪感を混ぜたような感情。
 首を竦めてしまった俺に、一橋サンは手を止めた。

「あぁ、そうだったな。
 悪かった」
「あ…、いえ、スンマセン…」

 俺と一橋サンのやり取りを、不思議そうに寺尾サンは眺めていた。
 それはそうだろう、寺尾サンの手は、平気だったのに。

「さて、俺は上がっても良いのかな?」

 洒脱に肩を竦めて見せた一橋サンは、俺の反応を気にしてないよと伝えてくれ、俺は笑って、汚ェとこスけどと招き入れた。
 寺尾サンは一足先にキッチンに立って、一橋さんに出すためのノンシュガー・ノンミルク用の珈琲を作っていた。昨日から寺尾サンばかりがキッチンに立っていて、俺はただ、食わせて貰うばっかりだ。それが申し訳ないような、なんだか嬉しいようなくすぐったい気分だった。
 一年半ばかり前、中学卒業と同時に一人暮らしを始めた俺は、他人の生活音に飢えていたのかも知れない。

「……てわけらしいぜ」
「冗談のような話だが…、もともとニシのこの状態が冗談のようなものだ、何があってもおかしくはない、か。
 目下、目標はニシの惚れた相手探しと、処女喪失だな」

 普通の顔してそんなことを言う一橋さんに、俺はカフェオレを吹き出しそうになった。どっちも嫌な目標だ。

「そんな顔するな。
 案外面倒だと思うぜ、誰に惚れてるのか分からない上に、相手が全くのノンケだったりホモファビアだったりしたら、泣くに泣けない」

 俺の顔を覗き込んで言った一橋さんだったが、その言葉ほどに彼が悲観しているようには見えなかった。
 彼には、何か思い当たるところがあるらしい。

「さて、さし当たって、お前が惚れそうな男のピックアップだ。
 候補に入れたいのは、一体誰だ?」

 モテるのは煩わしいという、傲慢とも思えるような理由で、わざわざ黒ぶちの眼鏡を掛けている一橋サン。
 ごく至近距離から見るこの人の顔はとても整っていて、その目は悪戯好きの少年のようにきらきらしているって人に知れる。いつもは、敢えて他人を見下したような態度をとるこの人だけど、本当にそんな人間なら、寺尾サンが頼りにするわけがない。
 琥珀色の、少し色素の薄い瞳に惹かれながら、俺はぼんやりと思考の中を泳ぎだす。
 俺が、好きな人。
 俺の周りには、格好良い男が沢山いた。つーか、寧ろ寺尾サンの周りには、だ。
 今、俺の目の前で笑っている一橋サンを筆頭に、俺の同期で、矢鱈顔のいい細川という男がいる。こいつはオンナにだらしがないというか、非常なナンパ男だったが、有事の際には女なんか放り出して駆けつけてくる。よく喋る男だったが、距離の取り方は心得ていて、一緒にいて楽しい男だった。
 また、ウチのグループの一番のライバルだと言われている族に、芹沢という男がいた。彼は顔の使い所を心得ていて、滅多なところでは喧嘩をしようとはしなかった。かと言って、馴れ合うわけでもない。寺尾サンと芹沢は、お互いに距離を図りながら、均衡を保っていた。彼が、気さくないい男だってコトは、一緒に酒を飲んだから知っている。
 それに、寺尾サン。
 どんなにいい男がいても、俺が惚れこんで、一生ついていくって決めたのはこの人だから、彼以上にいい男なんて表れるわけがない。
 でも、それって恋愛感情とは違うと思うんだけど。

「俺、馬鹿だから良くわかんねェっスけど…。
 やっぱ、一番は寺尾サンっス」

 ビンゴ、とでもいいかねない一橋サンの表情に、俺は眉を顰めた。

「ケド、俺、寺尾サンに抱かれたいって思ったコトねェっスよ…?」

 これは、寺尾サンに限ったことじゃないけど。
 例え金積まれたって、男に脚開こうとは思わない。

「まァまァ、そう尖りなさんな。
 お前、本当に考えた事ないか?
 ヤロー同士について、考え込んだ時期があったんじゃねーか?」

 俺たち仲間ですら接触できなくなったお前だ、余程ショックだった事があったんじゃねーか。
 一橋サンに言われて、俺は無意識の内に寺尾サンに視線を移していた。
 『あの時』、小柄なヤローとヤっていた寺尾サン。俺としっかり目が合っちまって、どうしたモンかなと言わんばかりに苦笑を見せたこの人。
 それから、俺の方を振り向いていた白い顔。平然と寺尾サンに身体を預けて、高い声を上げていた男は、それきり姿を見なくなった。
 『あの時』、俺は何を思った?
 滅茶苦茶に焦った頭の端で、思っちゃいけない事を思わなかったか。

「あ…、あぁぁ…っ」

 あの時俺は、抱かれてる男の事を『汚い、気持ち悪い』って思って、なのに、同時に『寺尾サンは俺のなのに』って考えた。
 それで、混乱したんだ。
 なんで、明らかに蔑んじまった男に嫉妬してんだ。なんで、俺がそこに居るべきなのにとか、思ってんだ。何で、何で…!
 結局、答えなんか出せなくて、次の日、俺は男に触れなくなった。スキンシップが取れなくなった衝撃に、前の晩の葛藤を隠してしまった。
 そうだ、俺は。

「俺、は…っ」

 俺は、寺尾サンの事が―――。
 俺の思考は、そこでブラックアウトした。


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